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学院について

メールマガジン 「彩の栞」

きもの着付け教室「彩きもの学院」では、生徒の皆さんをはじめ、きもの・着付けや日本文化に興味のある方に、メールマガジン「彩の栞」を月2回お届けしています。
「彩の栞」では、きものや伝統文化に関するTOPICSを中心に、彩きもの学院からの各種お知らせなどもお伝えしております。
 
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彩の栞第373号 「情け有馬の水天宮」 

■水天宮とは福岡県久留米市の水天宮を総本家とした、全国各地にある水天の神社です。
 毎月5日が縁日となっており、12月5日「納めの水天宮」では今年最後の縁日ということもあり、多くの参拝客で賑わいそうです。

■水天宮の由来は1185年(寿永4年)、壇ノ浦の戦いで平家の長女・按察使局(あぜちのつぼね)が筑紫に逃れ、安徳天皇ら平家一門を祀るために創られたと言われています。

■久留米藩9代目藩主の有馬頼徳は水天宮に厚い信仰があり、自らの藩邸に分霊を勧請しました。当時から水天宮は人気があり、多くの町民が参拝を望んだそうです。最初は許されませんでしたが、町民達のあまりの熱意に押され、毎月5日だけ開門し、庶民の参拝も許可しました。いつしか有馬の情けで水天宮を拝めるようになったということから「情け有馬の水天宮」と言われるようになりました。

彩の栞第372号 「現代演劇『新派』」

■歌舞伎(旧派)と異なる現代演劇として明治時代に誕生した「新派」が生誕130年を迎え、11月1日、日本ミステリー史上最傑作「犬神家の一族」が大阪松竹座で開幕されました。

■始まりは明治21年、角藤定憲(すどうさだのり)により「壮土芝居」という名で生まれました。海外からの思想が入ってきた明治時代、反政府派であった角藤は芝居を交えて反政府活動を主張した方がより効果的と考え、大坂新町の新町座に於いて「壮土芝居」を旗揚げしました。

■歌舞伎が主に江戸時代以前の時代を扱うのに対し、新派は明治以降、近代日本の女性達の人生を描く作品が多い様
です。女優や女形が活躍するのも歌舞伎とは大きく異なる点です。

彩の栞第371号 「元祖日本の台所『築地』」

■10月17日、築地市場が豊洲へ完全移転し、83年間、東京の食を支え続けた縁の下の力持ちは静かにその歴史に幕を下ろしました。日本橋の魚市場と京橋の青物市場が移転して開場した築地市場の歴史を紐解くと、始まりは江戸時代、日本橋に作られた魚河岸と言われています。

■江戸時代初期、将軍徳川家康は大坂の「佃村」から漁師達を呼び寄せ「綱引御免証文」を与えました。鯛などの魚介類を幕府に納めさせた一方、魚を自由に売る権利を与えました。日本橋のたもとで魚を扱うお店が軒を連ね、これが魚河岸と呼ばれ、魚を求めて人々が行き交う魚市場となりました。

■当時、魚市場は朝千両、芝居小屋は昼千両、吉原遊郭は夜千両と言われ一日に3千両動いたと言われました。

彩の栞第370号 「奈良の風物詩『鹿の角切り』」

■天高く馬肥ゆるこの季節、人と鹿が共存する古都、奈良で伝統行事「鹿の角切り」が開かれました。

■「鹿の角切り」は江戸時代初期の寛文12年(1672年)、鹿の角による事故を防止する為、奈良奉行が当時、鹿の管理者であった興福寺の許可を得たのが始まりと言われています。

■当時の角切りは奈良の町々で行われていました。店や町屋の格子越し、そして屋根の上から見学していたようです。明治時代中期には春日大社の参道や境内地で行われるようになり、そして1929年からは現在の角切り場で行われるようになりました。340年以上続く現在でも奈良を代表する伝統行事として認知されています。

彩の栞第369号 「長崎くんち」

■10月に入りますと、各地で伝統あるお祭りが開かれるのではないでしょうか。
長崎県長崎市では10/7〜10/9の3日間にかけて、日本3大くんちの1つ「長崎くんち」が開催されます。「くんち」とは九州北部における秋祭りの呼称です。由来は菊の節句の9月9日の「くにち」が「くんち」と呼ばれるようになったそうです。

■寛永11年(1634年)、2人の遊女、高尾と音羽が諏訪神社前に謡曲「小舞(こめえ)」を奉納したことが始まりだと言われています。

■その年に奉納踊を披露する当番の町を踊町(おどっちょう)と呼びます。長崎市内に全部で59ヶ町存在し、7つの組みに分けられます。当番は7年一巡となっており、長崎くんちの演し物を全て見るには、7年通いつめる必要があります。

彩の栞第368号 「咲き誇る秋桜」

■猛暑を乗り越え、秋の夜風を感じる日もあります。9月14日は秋を代表する花「コスモスの日」です。恋人、夫婦同士がコスモスの花を交換し、その愛情を確認し合う日とのことです。

■コスモスの原産地はメキシコで日本には明治時代に渡来しました。
栄養分が少ない乾燥した土地を好み、水やりや肥料をする必要がない等、容易に栽培  でき、かつ丈夫な為、明治の末には全国的に人気の花として認識されました。

■そしてコスモスの和名は「秋桜」ですが、そう呼ばれるようになったきっかけは最近の出来事です。それは1977年、山口百恵さんが歌った「秋桜」という歌謡曲が大ヒットしたことです。嫁ぐ娘が母を思う気持ちを歌ったこの曲の中で「秋桜」を「コスモス」と読ませ、それが定着してきました。

彩の栞第367号 「江戸時代の『涼』」

■猛烈な残暑の中、つい扇風機やエアコンのスイッチに手を出してしまいますね。
現代で生きている私達は電気の力を頼りに「涼」を得ています。一方電気のなかった江戸時代で、人々はどのように夏を乗り越えていったのでしょうか。

■江戸時代の生活は日の出とともに活動を始め、日の入りとともに寝るのが一般的でした。よって日の入りの早い夏では涼しい時間帯に仕事をこなす事ができました。よって人々は夕方には仕事を終え、日没までに夕食を食べて入浴し、夕涼みをしていたそうです。

■「徒然草」にも「家のつくりようは夏をもって旨とすべし」と記されているように、日本の家屋は夏向きに風通しがいいように建築されていると言われています。一般的にはよしずや蚊帳を利用して窓や障子を開け放ち、うちわで涼をとりました。

彩の栞第366号 「夏のお供 江戸扇子」

■猛暑の中、戸外で扇子を使う姿をよく見かけます。扇子の歴史は古く、「続日本記」には「特に功績のあった老人に杖と共に宮中で扇を持つことを許した」と記されていました。

■産地として一番有名なのは京都ですが、東京にも古くから伝わる扇子の技法があります。
江戸時代に京都から職人が移り住んだのが始まりとされています。煌びやかな京の扇子と比べると地味ですが、粋ですっきりしているのが江戸扇子の特徴です。

■そして何より、京扇子と江戸扇子の大きな違いは作業工程です。京都が分業制でそれぞれの工程に職人さんがいます。一方、江戸扇子は専業制で約30程の工程を一人でこなす必要があり、その分一人前になるには多くの時間を費やさなければいけません。

彩の栞第365号 「打ち水の変遷」

■猛烈な暑さが続きますね。24日には埼玉県熊谷市で観測史上最高気温の41.1℃を記録しました。その他多くの地域で「猛暑日」を観測、「大暑」に相応しい厳しい暑さが続いています。この時期になると各地で打ち水を行っている様子が見られるのではないでしょうか。

■打ち水の始まりは戦国時代、「茶の湯」の席にて礼儀作法として行われていたと言われています。そして江戸時代には「打ち水」が俳句に詠まれていたり、浮世絵に描かれており、涼しむための手段として一般的であったと考えられます。

■打ち水には暑さを和らげることの他に、道の土埃をしずめる、客を招く時に玄関先や道に水を撒くことで心地よく迎えること、そしてお清めの目的があります。

彩の栞第364号 「芸の鬼 『桂 歌丸』」

■1966年からスタートした長寿番組「笑点」の顔として長く親しまれた落語家で、落語芸術協会会長の桂歌丸さんが2日、慢性閉塞性肺疾患の為、横浜市内の病院で亡くなられました。81歳でした。心よりご冥福をお祈りします。

■「落語家というのはどんな噺でもしゃべれないといけない」
  
生前、歌丸さんがよく仰っていた言葉とのことです。初めて演じるネタの時でも、歌丸さんはまるで得意ネタのようになめらかな完成品を披露しました。 

■「やるべきことを全てやり尽くして旅立たれた。独り勝ちみたいなもので、
師匠、勝ち逃げはずるいよ」

友人代表として歌舞伎俳優の中村吉右衛門さんが述べた悼辞が印象に残ります。

彩の栞第363号 「日本画の巨匠「横山大観」」

■明治、大正、昭和に渡り、近代日本画に革新をもたらした横山大観。その生誕150年を記念した回顧展が、現在、京都国立近代美術館で開催されています。

■東京美術学校の1期生であった大観は、生涯の師匠である岡倉天心の元、日本画の新しい表現方法を模索しました。明確な輪郭をもたない表現方法である「朦朧体」もその一つです。

■明治時代、1910年のハレー彗星の接近を水墨画で描いた「彗星」や、自身が旅先で見た景色等、斬新な作品に取り組んでいました。大正時代の大観は中国の水墨画や琳派、やまと絵などの伝統的な技法による画を多く描かれていました。全長40メートルの画巻きに、水が川となって海に注ぎ、再び雲になる様子を描いた「生々流転(せいせいるてん)」等、水墨画の技法を駆使して雄大な世界観を作りあげていました。そして昭和の時代では富士山等の日本固有のモチーフを描かれる一方で、細やかな情緒溢れる作品も描かれていました。作品を振り返ると大観の日本画に対する飽くなき向上心を垣間見ることができます。

彩の栞第362号 「眩い和菓子の変遷」

■梅雨の季節となりました。この時期、和菓子店のショーウィンドウに紫陽花や水無月が並ぶようになりました。蒸し暑さが続きますが、食せずとも眺めているだけで気持ちが涼やかな気分になるのではないでしょうか。

■和菓子文化が花開いたのは17世紀末、元禄時代と言われています。参勤交代における将軍の献上品として各地で競い合った結果、月や桜、蝶等をお菓子で表現されるような風雅な文化が京都を中心に広まっていきました。

■その後、団子やあんころ等、皆に愛される大衆菓子、雛まつりの菱餅、端午の節句のちまき等の行事にちなんだ祝い菓子も普及、それまで上流階級のものだったお菓子は広く庶民の口に入るようになります。今も昔も変わらぬ職人達の鍛錬と精緻な手捌きによって一つの芸術が完成されていきました。

彩の栞第361号 「世界をきもので紡ぐ 『KIMONOプロジェクト』」

■来る東京オリンピックに向け、世界196ヶ国を表現したきものを作る「キモノ プロジェクト」が進められています。4月末時点で100着のきものが完成、福岡県久留米市で披露会が行われ、多種多様のきものに多くのお客さんが熱い視線を送りました。

■企画の立案者は高倉慶応さん。約80年続く老舗呉服店「蝶屋」の3代目社長です。呉服業に携って25年、その間日本の染織工芸の技術力の高さに驚き続けました。それと同時に世界でも誇れる染織工芸の業界が苦戦している歯がゆさも
感じました。「きものの力を世界に示したい。卓越した技術力で世界を『おもてなし』したい。」それが高倉さんの想いの原点です。

■企画当初、きもの業界からは半信半疑の目を向けられました。しかし、京友禅や西陣織の作家さんを説いて回り、自費で作成した5ヶ国分の作品を見て、全国各地の作家が感嘆、次第に寄付の輪も全国に広がりました。日本の伝統文化による挑戦が続きます。

◇6月13日(水)〜16日(土)まで日本橋・サンライズビルにて『第25回彩染織美術館』が開催されます。皆様のご来場心よりお待ちしております。

彩の栞第360号 「風光明媚な島 天草市」

■5月4日、ユネスコの諮問機関は「長崎と天草の地方の潜伏キリシタン関連遺産」を
「世界遺産に相応しい」と勧告しました。これにより、今年の6月にバーレーンで開かれる世界遺産委員会で日本22件目の世界遺産として正式に認められる見通しとなりました。

■天草市は大小の島々からなる諸島です。豊富な海産資源、美しい景観や豊かな自然、キリシタン文化や南蛮文化といった独特な文化等、数多くの観光資源に恵まれている諸島、それが天草市の特徴です。

■益々注目を集める天草市ですが、その地で古くから根付く伝統品が「天草陶磁器」です。国の伝統工芸品に指定されている天草陶磁器は日本一と言われる豊富な天草陶石と陶土を使って焼かれる磁器および陶器です。昔、天草は天領(幕府の直轄地)であった為、村ごとに庄屋がいました。自分達の生活の為に陶業を磨き、かの平賀源内から「天下無双品」といわしめる程、その技術を高めていきました。

彩の栞第359号 「足10年 左10年 人形遣いの道」

■先日、人形浄瑠璃文学において江戸時代から続く人形遣いの名跡、「吉田玉助」が53年ぶりに復活しました。襲名披露の演目「本朝廿四孝(にじゅうしこう) 勘助住家の段」では、5代目玉助の大きな体格を活かし、重さ7〜8キロもある大きな人形をダイナミックに見せ、観客を沸かせました。

■人形は3人の遣いによって操られます。両足担当の足遣い、左手担当の左遣い、そして人形の軸となる主遣いです。人間の機微を人形で表現するためにそれぞれの修行に多くの時間を費やします。特に、最初の「足の遣い」は大変です。一緒に組む主遣いとの背格好や好みによって足側の立ち居振る舞いを変えなければいけません。また、武士と町人や農民では歩き方も違います。さらに同じ役でも心情の違いも足で表現しなければいけません。

■「足10年 左10年」。一般的な人形遣いの修行期間と言われています。この長い修練を経て、「人間以上の動きをする人形」とまで言わしめる芸が完成します。

彩の栞第358号 「不変の清潔感」

■2017年の訪日観光客は2869万人となり、過去最多の人数となりました。その多くの外国人観光客が日本の街並みの綺麗さに驚くそうです。中国のメディアではあまりの清潔さから、「日本人は恐ろしい民族」と表現する程です。

■日本の学校では掃除は自分達で行いますが、外国では雇われた清掃会社の人が掃除します。このように身の回りの掃除は自分達でするという精神は古来よりありました。江戸時代、他国では排泄物の管理がずさんで、街中の環境はとても不衛生でした。一方、日本の農家の方々はそれらが畑の肥料となることを知っていたので、肥料を買い取るサービスが存在しました。また幕府でもゴミの不法投棄を禁じる「お触れ書き」を出すなど、公私共ゴミをそのままにしないといった意識が高い為、人口100万を超える江戸の城下町も清潔さを保っていたのです。

彩の栞第357号 「新旧せめぎ合い 将棋の歩み」

■昨今、将棋界が再び注目を集めています。今年中学を卒業したばかりの藤井聡太六段(15)が、71勝12敗という驚異的な勝率で並み居る猛者を退けている一方、国民栄誉賞を受賞した羽生善治竜王(47)が史上初の「永世七冠」を達成する等、若手とベテランがしのぎを削る、実に見ごたえのある状況になっています。

■将棋のルーツはインドの「チャトランガ」というゲームだと言われています。そして平安時代、藤原明衡が記した「新猿楽記」という文献にて将棋の記載がされたのが始まりとされています。時代が進むにつれ何度ものルール改正が行われ、15、6世紀には現在の本将棋になりました。

■将棋の最も特筆すべき点が、相手側から取った駒を自分側の駒として再使用するルール、「持ち駒」です。一度相手側に捕らえられた駒にも再度活躍のチャンスがある、世界各国のボードゲームの中で、持ち駒のルールを採用しているのは日本の将棋のみです。

彩の栞第356号 「桜の子孫を 後世に 桜守」

■桜の咲き誇る季節が近づいてきました。今年は例年よりも10日程早い開花が見込まれ、関東地方では3月18日頃に花が咲く予報となっています。

■桜の木の健康を見守り、貴重な桜の子孫を残す、「桜守」と呼ばれる人々がいます。桜守の作業は地道な積み重ねです。開花の季節はもちろん、それ以外の時期も、葉がいつ出たか、枝はどれだけついたか、紅葉の赤み具合はどうか等、一年を通して起こる桜の健康状態をチェックしているのです。

■今日本の桜の9割程をソメイヨシノが占めています。この桜は生長が早い分、寿命が短く、戦前に植えられた桜はとうに寿命を迎えています。現在日本に数多くある桜の名所も彼等の日々の尽力がなければ成り立たないのです。

彩の栞第355号 「別れ惜しむ 馬のはなむけ」

 〜藤原のときざね、船路なれど、馬のはなむけす〜 土佐日記 冒頭部分

■弥生3月、冬の厳しさが和らぐ季節。転勤、卒業式、引越し等、出会いと別れが交差する時期です。遠くへ行かれる
同僚や旧友に対して「餞別」として贈り物をされる機会も多くなるのではないでしょうか。

■昔の旅路は交通機関が発達しておらず、現在とは比べ物にならない程、困難なことでした。旅立つ人も見送る人も今生の別れを覚悟して、餞別を贈り、受け取ったと思われます。「餞」という言葉は「馬のはなむけ」の意味合いを持ち、
旅立つ人の目的とする方向へ、見送る人が馬の鼻を向けて、道中の安全を祈った事に由来します。

彩の栞第354号 「木草弥や生ひ茂る月、弥生」

■残り2週間程で、3月を迎えますね。冬の寒さも和らぎ、少しづつ日の暖かさを感じて行く季節になるのではないでしょうか。そんな3月ですが、旧暦の読み方は「弥生」と呼びます。弥生と呼ぶようになった由来ですが諸説あります。その中でも「弥」という字には「いよいよ、ますます」といった意味合いがあり、「生」という字には草木が芽吹くといった意味合いがあり、この2文字を含めて「弥生」となった説が有力です。

■また3月には「花つ月(はなつづき)」、「建辰月(けんしんつき)」、「夢見月(ゆめみつき)」、「禊月」等、別名が沢山あります。共通しているのはどの言葉も前向きな印象の言葉が多いことですね。先人も、冬の寒さが終わり、活気のある季節が始まろうとしている時期と捉えていたのではないでしょうか。

彩の栞第353号 「初午、お稲荷様と狐の関係」

■「初午」は2月の最初の午の日を指し、2018年は2月7日が初午となります。この日は全国各地、約4万社の稲荷神社で豊作、商売繁盛、家内安全等を祈願します。

■稲荷の名は「稲生り(いねなり)」からきたと言われています。旧暦2月の初午の日は今の3月にあたり、ちょうど稲作を始める時期にあたるので、農耕の神様を祀るようになりました。

■そして稲荷と深い関係のある動物が狐です。狐は穀物を食い荒らすネズミを捕食する点、狐の色や尻尾の形が実った稲穂に似ている点等から、農業神である稲荷神の使いとして位置づけられているという説があります。初午の日には狐の好物である油揚げやお団子を供える風習もあります。

彩の栞第352号 「故事来歴、日本の年賀状」

春の始めのお御悦び、貴方に向かってまずお祝い申し候 藤原明衡『庭訓往来』

■昨今は、諸外国でも年始のご挨拶で年賀状を出す習慣が生まれているようですが、古くからこの文化が根付いているのは日本だけとのことです。平安時代には年の始めにお世話になった人や親族の家を回って挨拶をする習慣が広がっていきました。この時期から正月は挨拶をする人々の為に行き来きする人々でごった返したとのことです。

■そして江戸時代になると付き合いが広がり、対面ではなく書状で済ませることも増えていきます。また、玄関に「名刺受け」を設置し、不在時にはお祝いの言葉を書いた名刺を入れてもらうという簡易的な手法も登場します。現在でも仕事の年始回りでは「謹賀新年」など賀詞入りの名刺を使うことがありますよね。このように、年始回りを簡略化したものが年賀状のルーツだといわれています。

彩の栞第351号 「『十干十二支』、『戊戌』の所以」

■皆様、明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願い致します。
今年の干支は「戌年」になります。この戌年ですが、正式名称は「戊戌(つちのえいぬ)」と呼びます。本来、干支は
十二支だけでなく、「十干(じっかん)」という数詞が合わさった「十干十二支(じっかんじゅうにし)」を指します。なので、「戌年」改め、「戊戌」というのは、十干の5番目の「戊(ぼ)」、十二支の11番目の「戌」が合わさった
言葉となります。

■昨年の酉年は「商売繁盛」や「とり」→「取り」→収穫を意味する縁起のよい年とされていますが、今年の戌はその収穫後なので、守りの年になります。「戌」には「植物が育っていき、花が咲き、実をつけ食べごろが過ぎた後、自分の実を落として、本体の木だけは守る」という意味合いが含まれているとのことです。商売で言いますと、既存のお客様を守り、関係性がより深まると言われています。

彩の栞第350号 「京都の2大縁日『終(しま)い弘法』『終い天神』」

■今年も残り僅かとなりました。2017年最後の縁日として京都では12月21日に東寺にて「終い弘法」が、25日に北野天満宮にて「終い天神」が行われます。どちらも多くの人が訪れ、境内には所狭しと露天が立ち並び、大いに盛り上がります。

■「終い弘法」も「終い天神」も、入定(にゅうじょう)(位の高い僧が亡くなること)された日が由来となります。弘法太師や菅原道真公の命日に、御縁日としてフリーマーケットが開かれます。そこでは骨董品や古着の他、葉ボタンや梅、千両の苗、干しガキ、翌年のえとの置物など、迎春用の品を売る店がずらりと並びます。

■昔、京の童達はこの2大縁日を心待ちにしていたようです。片方の縁日が晴れて、もう片方が雨になると、晴れた方の縁日を「今日は弘法さんの勝ち」「今日は天神さんの勝ち」と言って盛り上がったという逸話もあったとか・・。

彩の栞第349号 「長きに渡り歌舞伎を支えた音楽『長唄』」

■昨年、ジャニーズjr.初の国立大生、それも芸術系最難関の大学に合格した村治将之助さんが大きな話題になりました。お父さんは邦楽界で知られた長唄の名唄方杵屋勝四朗さん。そんな彼が父の背中を追い掛け、本格的に長唄の道に
進むというニュースが目に留まりました。

■長唄は17世紀前半に上方から江戸へもたらされた三味線音楽です。初期の長唄は目の不自由な音楽家の伝承音楽の影響で優美な曲が主体でした。その後上方流を脱却する曲も作られ、そして「劇場音楽」として正式に「江戸長唄」の名称が掲げられ、歌舞伎音楽として発展していきました。現在では「下座」の演奏の多くを担当しているため、歌舞伎の音の表現において大きな役割を担っています。

■今年の6月には名取となり、初代・「杵屋勝四助」という芸名も頂いた村治さん。
 日々修練を重ね、近い将来歌舞伎座で彼の姿を見る機会があるかもしれませんね。

彩の栞第348号 「運をかき集める “熊手”」

■毎年11月の酉の日に「酉の市」が行われます。元々は鶏を奉納するために多くの人が訪れ、その人達を相手に農機具や農作物、古着などが露店で商われていました。その酉の市で昔から商売繁盛のお守りとして熊手が重宝されています。

■熊手は落ち葉をかき集めるための道具ですが、その由来は鷲が獲物をつかむことになぞらえ、その爪を模したと言われています。そこから徳をかき集める、鷲づかむといった縁起物の代表として認知されるようになりました。

■縁起物の熊手も色々の種類があり、時代とともに形も飾り物も変わってきています。江戸中期より天保初年頃までは柄の長い実用品の熊手におかめの面と四手をつけたものでした。その後色々な縁起物をつけ現在では宝船、平、桧扇、文化、みの、御所車など多くの種類となり、見る者の目を魅了するようになりました。

彩の栞第347号 「西陣織の変遷」

■日本の織物を牽引してきた西陣織の生産地、京都。京都の織物の歴史は深く、遥か前の5世紀頃、大陸からの渡来人が京都・太秦付近に住みつき、養蚕と絹織物の技術を伝えたのが始まりと言われています。

■そして時は経ち室町時代、京都の町を舞台に東西で争う応仁の乱が始まります。
 堺などに戦火を逃れた職人が戦の後に西軍の本陣であった大宮今出川付近に戻り、織物業が盛んになり、以降そちらで生産された織物を「西陣織」と呼ぶようになりました。

■さらに江戸時代になり、先に染めた糸を使って色柄や模様を織り出す紋織(もんおり)が可能になりました。こうして紋織による高級絹織物・西陣織の基礎が築かれていきました。西陣織とその産地・西陣は朝廷からの保護を受ける一方で、その後も自発的に海外の技術を取り入れるなどしてすぐれた織物を生み出し、いっそう発展を続けました。そしてわが国の絹織物業の代表的存在へと成長していきました。

彩の栞第346号 「神様の依り代『山車』」

■10月14、15日、埼玉県川越市にて川越氷川祭、通称「川越まつり」が開催されました。例年80万人の参加者を魅了
 する関東3大祭の一つです。そんな川越祭り最大の特徴が「山車による曳っかわせ」です。

■「山車」とは祭礼の際、飾り物をしたり、大太鼓を積んだりして引き出す車をさします。
 「お神輿」と似ていますが、目的が異なります。「お神輿」は、神様が神社から御旅所まで旅をするときに使用
 する乗り物です。一方山車は神様の依り代としてお祭りの間、神様を招き入れ、居着いて頂くためのものになります。

■古来より、神様は山岳や山頂岩や木を依り代として天から降臨するという考えがあり、お祭りの間、自分たちの神様にいていただくために小さい山を町内に築いたことが山車の始まりだと言われています。現在では約180のお祭りで山車が使用され、2016年にはユネスコ無形文化遺産に登録されました。

彩の栞第345号 「『格の低い秋刀魚』が家庭食になるまで」

■食欲の秋と呼ばれる季節となりましたが、この時期、日本人が真っ先に思い浮かべる食材の一つとして、秋刀魚が挙げられるのではないでしょうか。現在でこそ、秋刀魚を使った色々な料理が作られ、親しまれています。しかし江戸時代後半までは油の少ない淡泊な魚が上品とされ、油の多い秋刀魚は庶民すら食べない格の低い魚として認知され、主に灯油用の油を取るために用いられていました。

■そんな秋刀魚を食べるきっかけとなったのが「火事」です。人口増加や文化の発展が原因で、江戸時代267年の間、実に1798回の火事が起こりました。江戸っ子の生活を見直し、食べ物の好き嫌いを言っている場合ではない状況になりました。そして「安くて長くはさんまなり」という貼り紙を貼った魚屋が話題となり、次第に秋刀魚は江戸庶民に親しまれる食材となりました。落語にも「目黒のサンマ」という噺がございます。

彩の栞第344号 「秋の季語『竹の春』」

すぐなると傾げるもあり竹の春 高浜虚子

■美しい緑色で真っすぐにそびえ立つ竹にはつい目を奪われてしまうのではないでしょうか。特に新緑の時期が一番
見ごたえがあると思われます。しかし実は竹にとっての新緑、つまり春は春夏秋冬で言うところの「秋」に当たるのです。

■竹はイネ科の常緑樹で多くの種類があります。竹の子を食用とするモウソウチクやマダケ、観賞が目的のクロチクや
業平タケなどが有名です。モウソウチクやマダケにとっての春から初夏は、竹の子を育てるのに栄養をとられる、いわば「実りの季節」でもあります。また、竹の葉は1年で生え変わりますが、5〜6月に黄色く色づいて落葉します。原因は
新芽に日光を当てるために古い葉を落としている為だと考えられます。

■こういったことから、実際の季節は春であるにもかかわらず、竹にとっては「秋」のイメージとなるのです。そして、ほかの木々が落葉する秋は「竹の春」となって、すくすくと勢いづいていくのです。

彩の栞第343号 「飽くなき探求心『葛飾北斎』」

■残暑が和らぐ旧暦9月23日、世界一有名な日本人画家、葛飾北斎が生まれました。手先が器用な北斎は幼年期より
絵師としての才能を発揮。「餓死しても絵の仕事をやり通す」という信念の下、数々の作品を世に送り出してきました。

■そして74歳にして自身の最高傑作「富獄百景」を完成させます。50代の頃訪れた富士山に感嘆し、何年の月日をかけて構図を練り描き切った、「富士と言えば北斎」と言わしめた作品です。

■「これまで多くの絵や本を世に出してきたが、この年になってようやく物事の本質を理解できるようになってきた。
だから私はこの先も進歩し続ける。90歳、100歳と年齢を重ねるごとにもっといい絵が描けるようになるだろう。」あとがきには北斎の絵に対する想いが書かれていました。そしてその言葉通り、彼は最後まで絵の修業を行っていきました。

彩の栞第342号 「快活なフランス人から学んだ『富岡製糸場』」

■先日、富岡製糸場にて、ガイドをするフランス人男性をTVで拝見しました。お客さんは最初こそ不安げな様子でしたが、咄嗟の質問にも流暢な日本語で丁寧に対応するガイドさんの姿を見るうちに、次第に緊張も解け、皆さん笑顔になっていきました。
■富岡製糸場は1872年、製糸業の近代化を図るために設立された日本初の器械製糸工場です。官営模範工場の設立にはフランス人のポール・ブリュナが指導者として選ばれました。日本の体格に合わせた繰糸器械や動力用のエンジン、ガラスや鉄製の窓枠等の輸入、煉瓦作りの技術の提供、技術者の雇い入れをする等、世界遺産にも登録されたこの文化財の設立にはフランスの人と技術が大きく関わっていました。
■「先人が築き上げた日本の文化遺産で働けることをフランス人として誇りに思う。」番組のインタビューの中で彼はこのように述べていました。彼らの姿勢、考え方から学ぶことは沢山あります。そして他国からこれだけ認められる日本を私は誇りに思います。

彩の栞第341号 「先祖へのおもてなし『迎え火・送り火』」

■お盆とは先祖の霊があの世から帰り、家族とひとときの時間を過ごし、そして再びあの世へ戻るという日本古来の行事です。先祖の霊をお迎えする風習の一つに「迎え火・送り火」があります。

■迎え火は8月13日に行われるのが一般的です。8月13日の夕方に家の門口や玄関で、素焼きの焙烙(ほうろく)にオガラを折って積み重ね、火をつけて燃やし、迎え火として先祖の霊を迎えます。迎え火が行われた後は、精霊の故人へ精霊棚の準備、そしてその上に精霊馬等のお供え物をします。

■送り火は8月16日の夕方に再び同じ場所で、焙烙にオガラを折って積み重ね、火をつけて燃やし、送り火として先祖の霊を送り出します。京都の有名な大文字焼きも送り火の一つです。迎え火は先祖の霊が帰ってくるときの目印になり、送り火は私たちがしっかりと見送っているという証になります。

彩の栞第340号 「帰省の元祖『藪入り』」

■旧暦の1月16日と7月16日に奉公に行った子供や、嫁いだ子供と一緒に実家に帰省することを「藪入り」といいました。

■昔は「丁稚奉公」といい、自分の子を小さい頃から商家に住み込みで働かせる習慣がありました。家に帰りたいという気持ちを芽生えない様、3年間は帰してもらえなかったようです。また、奉公人に休みはなく、実家の門はくぐらせてはくれませんでした。そんな時代でも年に2回(旧暦の1月16日と7月16日)だけは、実家に帰ることを許されました。「盆と正月が一緒に来た」という言葉はうれしいことや楽しいことが重なることの例えを言います。当時はそれ位、この休日を待ち侘びたことが想像されます。

彩の栞第339号 「七夕の由来『棚機』」

■七夕は「たなばた」または「しちせき」とも読み、一年間の重要な節句を表す五節句の一つに数えられる貴重な行事です。
皆さんも7月7日の夜には願い事を書いた色とりどりの短冊や飾りを笹の葉に吊し、織姫と彦星にお願い事をした経験があるのではないでしょうか。

■七夕の名前の由来の一つに、日本の古い行事である「棚機」が挙げられます。昔の人々は、夏に選ばれた乙女が着物を織って棚に備え、神様を迎えて秋の豊作を祈り、人々の穢(けが)れを祓うという行事を行っていました。選ばれた乙女は「棚機女(たなばたつめ)」と呼ばれ、川などの清い水辺にある機屋にこもり、「棚機」という織り機を使用して神様のために心を込めて着物を織りました。やがて仏教が伝わると、お盆を迎える準備として7月7日に行われるようになりました。

彩の栞第338号 「前期の穢れを落とす『茅の輪くぐり』」

■6月末に行われる夏越しの祓(なごしのはらえ)は、半年分の穢れを落とす行事で、この後の半年の健康と厄除けを祈願します。夏越しの祓では、厄落としの方法として、「茅の輪くぐり」が行われます。茅の輪とはチガヤという草で編んだ輪のことです。神社の境内に作られた大きな茅の輪の中を八の字を書くように三度くぐり抜けることにより、病気や災いを免れることができるとされています。

■茅の輪くぐりの由来は日本書紀に基づいていると言われています。
スサノオノミコトが南海へ旅をしている途中、蘇民将来(そみんしょうらい)、巨旦将来(こたんしょうらい)という兄弟のところへ赴き、宿を求めました。裕福な弟の巨旦将来は宿泊を拒んだのに対し、兄の蘇民将来は貧しいながらも、厚くもてなしてくれました。

その数年後、スサノオノミコトは再び蘇民将来の元を訪れ、「病気が流行る時は、茅で輪を作り、腰に巻けば病気にかからない」と伝えました。そして疫病が流行した時、巨旦将来の家族は病に倒れましたが、教えを守った蘇民将来は茅の輪で無事に過ごすことができました。この言い伝えから「蘇民将来」と書いた紙を門に張ると災いを免れるという信仰が生まれました。

彩の栞第337号 「梅が縁起物と呼ばれる由縁」

■6月に入りますと、店先で梅を見かける機会が多くなるのではないでしょうか。
梅の旬は6月で、出荷量は約2022トンにも及ぶそうです。

■梅の特徴としてまず挙げられるのは、生命力の強さです。苔が生える程の樹齢を迎えても、早春に他の花より先駆けて気高い香りを伴いながら美しく咲くその姿に古人も感銘を受けました。鎌倉時代以降、実の多くは梅干しとして、時には戦に行く際のお供として常備されていたそうです。

■次に医者いらずと言われる程の梅の効能です。梅に含まれるクエン酸の疲労回復効果や殺菌作用は、昔から「その日の難逃れ(朝に食べれば、その日一日災難から逃れることができる)」と言われるほど、病気の予防や健康増進に用いられました。これらの特徴から、梅は「気高さや長寿の象徴」とされ、縁起物として扱われるようになりました。

◇6月7日(水)〜10日(土)まで日本橋・サンライズビルにて『第24回彩染織美術館』が開催されます。皆様のご来場心よりお待ちしております。

彩の栞第336号 「大島紬ができるまで」

■大島紬の源流は奈良時代に養蚕された日本において最も長い歴史と伝統を持つ織物だと言われています。その染織技術は伝統の技法と熟練された職人により、現代まで受け継がれています。

■絣糸(かすりいと)を作る工程と、反物を作る工程があるため、2度織られることが大島紬独自の特徴です。大島紬が出来上るまでの工程は、1、図案の設計2、糸くり3、糊張り4、絣締め5、染色6、準備加工(目破り、すりこみ、ばらさき、あげわく等)7、機織り8、製品検査となります。

彩の栞第335号 「五月を乗り切る先人の知恵 『菖蒲』」

〜節(せち)は、五月にしく月はなし。菖蒲(さうぶ)、蓬(よもぎ)などのかをりあひたる、いみじうをかし。〜
枕草子

■清少納言が端午の節句の行事に菖蒲の香りに感心している様子が伝わります。

■古来から菖蒲には邪気を払う力があると信じられていました。
5月は季節の変わり目で体調を崩しやすい時期です。また、この時期から行われる田植えに備えるため、先人達は古くから菖蒲を門口にさしたり、菖蒲湯に浸かり、菖蒲酒を飲む等、端午の節句を乗り切るために5月に盛んに咲く菖蒲を存分に活用しました。

■「菖蒲」の音が武を重んじる「尚武」と同じであることから、江戸時代には武士の間で盛んに祝われ、端午の節句は、家の跡継ぎとして生まれた男の子が、無事成長していくことを祈り、一族の繁栄を願う重要な行事へと変遷していきました。

彩の栞第334号 「穀雨の時期に咲く『百花の王』」

■4月20日は二十四節句の「穀雨」です。読んで字の如く、五穀豊穣を願う雨を意味します。雪が溶け、様々な生命が目を覚まし、草花が咲き、次の命を育てる準備が整っている環境、それが「穀雨」です。この時期に私たちの祖先は田植えの準備を始めました。

■穀雨の時期に咲く有名な花が「牡丹」です。
元々、中国の漢方薬の素材として利用されていましたが、どの花よりも優雅で豪華であるということで、観賞用の花として、唐の時代の首都長安で大流行しました。
「立てば芍薬(しゃくやく)、座れば牡丹(ぼたん)、歩く姿は百合の花(ゆりのはな)」
美しい女性を例える言葉にも牡丹が引用されています。牡丹は、一輪だけでも絵になり、「百花の王」と呼ばれています。

千紫万紅(せんしばんこう)の春をお楽しみ下さい。

彩の栞第333号 子供の還暦「十三参り」

◆子供の成長を祝う行事といえば真っ先に七五三を連想しますが、主に関西に伝わる習慣で、数えて十三歳になった男女の通過儀礼として「十三参り」というものがあります。

◆主に関東発祥の風習と言われる「七五三」が内面に根付くよりも前に伝わる風習です。「十三参り」では子供用の着物「四つ身」から、大人用の寸法「本裁ち」の着物を着用して参拝し、陰暦の3月13日、現在の4月13日に知恵・学徳・厄除けを祈り、虚空蔵菩薩(知恵の菩薩)を所蔵する寺社に参拝します(京都:法隆寺、大阪:大平寺等)

◆13才は生まれた年の干支が初めて巡って来る年にあたります。古来日本において、男女共に精神的にも肉体的にも子どもから大人へと変化する大切な節目とされていました。

彩の栞第332号 「卒業」と「袴」の関係性

■卒業式になり、袴姿の女性を見る機会が多くなりました。大正時代まで、女学生の制服として袴が採用されていました。昭和に入り、洋服が浸透するにつれ姿を消しましたが、現代でも女子学生や先生たちが卒業式に袴を着ます。根強く残る「袴」と「卒業式」にはどのような関係性があるのでしょうか。

■明治期以前にさかのぼると、袴は平安時代の宮廷に仕えていた女性たちが十二単の一部として身につけていた厳正な衣服でした。明治期になり、教室の机と椅子、立ち上がり座る生活により裾の乱れを改善するため、そして学問の場にふさわしい清楚な装いである女袴が女学生の制服として採用されました。こうした歴史からも、袴は卒業式という厳かな式典の場の衣装として今も着られているのだと思われます。

彩の栞第331号 「上巳の節句、雛まつりの由来」

■「上巳」(じょうし)とは旧暦の3月の最初の巳の日のことを指します。この時期は季節の変わり目で、邪気が入りやすいと言われていました。3月3日には年齢性別関係なく草や藁(わら)で作った人形の身体を撫で、穢(けが)れを移し、健康を祝って災厄を祓うことを目的とした農村儀礼が各地で行われていました。
 田植えの始まりにあたるこの時、田の神を迎える為に、紙で作った人形で体を撫でて穢れを落とした後、海や川に流していました。また、桃が邪気を祓い長寿を保つと言う中国思想の影響を受けて、桃の花の入った桃酒を飲むようになったようです。

■江戸時代に入ると、紙の雛人形を流す行事は川が汚れるという理由から流すことが難しくなり、その頃から、現在の雛壇を飾る「雛祭り」へと行事の内容が移行したのではないかと言われています。

彩の栞第330号 『塩沢紬と本塩沢の違い』

■俗に塩沢と呼ばれるものには4種類あります。「越後上布」「塩沢紬」「本塩沢」「夏塩沢」です。その中でも「塩沢紬」「本塩沢」は混同されがちですが、全く異なる織物です。
塩沢紬は文字通り「紬糸」で織った織物です。紬糸は絹の真綿を紡いだ糸で、太さが一様ではなく、節があります。手触りは結城紬やその他の紬と同じでざらざらした感じだけれども、塩沢紬は他の紬よりも地薄でさらさらとしています。

■一方、本塩沢は経糸緯糸共に生糸のお召し糸が使用されています。経糸には一メートルあたり350回、緯糸にはさらに1800回の撚り(強撚)を掛けて用います。実際に本塩沢を手で擦ったり、揉んで見るとシャリシャリという音がします。適度な張りがあり、単衣で着ても崩れずに体に馴染むこの着心地は本塩沢特有です。

■3月に塩沢の日帰り研修がございます。塩沢紬発祥の地、新潟県南魚沼市へ行き、作業工程を見学します。当日是非参加して頂き、目で見て、手で触って頂きたいと思います。

彩の栞第329号 『物を労わる日「針供養」』

■日本には古くから物を大切にする文化があります。
2月8日の「針供養」もそのひとつです。
役目を終えた針に対する労わりと感謝の気持ちを表すとともに、裁縫の上達も願う行事とされています。この日には折れたり曲がったりした古い針をこんにゃくや豆腐などに刺して供養します。

■なぜ、こんにゃくのようなやわらかい物に刺すかと言いますと、いつも堅いものばかりを刺して使っていた針に対し、最後はやわらかいところで休んで頂くという気持ちを表しています。
昔、針仕事は女性にとってとても大切な仕事で、針に神が宿ると考えられていたため、身近であった針を大切にしようという想いが根付いていきました。

彩の栞第328号 「成人式の由来と振袖」

■成年を祝う儀式、行事は古来よりありますが、今日の成人式の由来は埼玉県蕨市で行われてた「青年祭」だと言われています。1946年、敗戦当時の落ち込んだ気持ちを払拭し、次代を担う若者を励ますために行われたこの青年祭に日本の政府も影響をうけました。1949年から1月15日を「成人の日」として制定(※現在は一月第二月曜日)し、国の祝日となりました。

■成人式では振袖の着用が一般的です。振袖の長い袖で「袖を振る」ことには、「魔」を払い、場を清める力があるとも言われてきました。神を呼び、魔を振り払う行為は古から「魂振り」と呼ばれています。神社では鈴を「しゃんしゃん」と鳴らしたり、神主さんが玉串を振ったりしますよね。

あかねさす 紫野ゆき標野ゆき 野守は見ずや 君が袖ふる  額田王

「袖ふる」とは、この時代の呪式のようなもので、恋しい人の魂を自分のほうへ引き寄せるように、おいでおいでと袖を振る恋の仕草のことです。

■女性から言葉で想いを伝えることがタブーとされていた時代に、そのような男性への意思表示のサインが生まれました。現代の「振る」「振られる」の語源はこの振袖から来ています。

彩の栞第327号「干支の由来と酉年の特徴」

■明けましておめでとうございます。本年は酉年ですね。十二支の由来は、中国の殷の時代に1年を12月に分けた月の呼び方として使われたのが始まりです。「支」は木の枝を表し、12段階の草木の生長ぶりをその名称として使用したのです。

■「酉」は(元の漢字は「糸酉」読み方は「しゅう」と呼びます)
「ちぢむ」といった意味合いを持ち、果実が成熟の極限に達した状態を表しています。後に、一般の人々に
覚えやすいよう動物の鶏が割り当てられました。また、酉は“取り込む”といわれ商売にはとても縁起の良い
干支と言われています。

今年も彩のメールマガジンをよろしくお願い致します。

彩の栞第326号 『年神様を迎える為の門松』

◆古くから、木のこずえに神が宿ると考えられていました。正月には年神様を迎える目印として、門松を置くのが慣習となっています。常磐木(ときわぎ=常緑樹)に神様が宿ると思われていたことから、お正月に家の門に常盤木をお飾りしたのが門松の始まりのようです。

◆神様が宿ると思われてきた常盤木の中でも、松は「祀る」につながる樹木であることや、古来の中国でも生命力、不老長寿、繁栄の象徴とされてきたことなどもあり、日本でも松をおめでたい樹として、正月の門松に飾る習慣となって根付いたようです。能舞台には背景として必ず描かれており、日本の文化を象徴する樹木ともなっています。

彩の栞第325号 「お歳暮の変遷」

◆お歳暮は、年越しの「御霊祭」(みたままつり)で塩鮭、するめ、数の子、塩ぶり、魚介類の干物などを祖先の霊に供える行事でした。こうした供物を嫁いだ娘や分家の者が本家に持ち寄ったことに始まります。時代が経ち、そういった伝統的な風習から『1年間の貸し借りをすっきりさせてから年を締めくくろう』というお世話になった人への感謝の気持ちを込めて贈り物をするという風習に変わり、現在のお歳暮となりました。

彩の栞第324号 「加賀友禅の特色」

◆江戸中期、友禅染の祖である宮崎友禅斎が京都から金沢に移り住み、御用紺屋棟取(ごようこんやとうどり)・太郎田屋と供に、 加賀友禅の基礎をうちたてたのが始まりです。京友禅の華麗な図案調に対し、写実的な草花模様を特徴とした落ち着きのある趣が加賀友禅の特徴です。

◆もうひとつの特徴として箔や刺繍といった華やかな技法を用いないことが挙げられます。さらに線の太さやぼかし、虫喰いなどの表現でアクセントを付け、飾る事のない自然な姿を加賀友禅は写し出しているのです。現在の加賀友禅は、この歴史と職人の細やかな技術を生かした特選色留袖や訪問着などの高級品が主流を占めています。

◆11月30日〜12月3日、新宿エルタワーにて、「第23回彩の市」が開催されます。皆様のご来場心よりお待ちしております。

彩の栞第323号 「帯解の儀と七五三の由来」

◆七歳の女の子は、着付けをして三歳の時とはまた違った着物で七五三のお参りをします。
そんな七歳の女の子たちが参加する七五三の儀式を「帯解の儀」と呼びます。

◆七五三の由来は室町時代が始まりで、江戸時代の武家社会にて全国的に広まったと言われています。医療が発達していなかった当時は短命になってしまうお子さんも多くいました。この「帯解の儀」には、無事にここまで成長した子どもを神様に見せて感謝するという意味と、帯を締める、ことで子どもの身体から魂が飛び出さないようにする、という意味合いも含んでいたのです。

彩の栞322号「日本茶を普及させた永谷宋円」

◆10月31日、「日本茶の日」と制定されています。
その由来は約800年前の1192年の10月31日に、中国の僧である栄西がお茶の元となる物を伝え、広めたこととされています。

◆当初、一部の僧や富裕層に親しまれる飲み物でしたが、江戸時代には、庶民が口にできるようになりました。しかし、彼らが飲めたのは抹茶ではなく煎茶や番茶。しかも、赤黒い色の粗末なお茶でした。そうした中、京都の農家永谷宋円が、今のお茶の基礎となる日本茶を考案しました。宋円の煎茶はこれまでにない緑色の水色と甘味、馥郁(ふくいく)とした香りを放ち、江戸市民を驚嘆させました。宗円が生み出した製法は、「宇治製法」と呼ばれ、18世紀後半以降、全国の茶園に広がり、日本茶の主流となっていきました。

◆お茶漬け海苔で有名な「永谷園」は永谷宋円の子孫の1人です。

彩の栞第321号 「桐生織」

◆「西の西陣、東の桐生」と言われるように、日本を代表する絹織物産地として、桐生市の織物は有名です。その歴史はとても古く、奈良時代の714年、「黄あしぎぬ」という織物を作成したのが始まりと言われています。

◆桐生織を全国的知名度にした出来事があの「関ヶ原の戦い」です。将軍徳川家康は栃木県の小山に進軍中、不足した軍旗を求めました。桐生の職人達は全精力を注ぎ込み、わずか1日で2410疋を集めて納めました。その事が幕府の評価を上げ、桐生織が一躍有名な織物として認知されることとなりました。

彩の栞第320号 「神無月と出雲大社の関係」

◆10月に全国の神々が出雲大社に集まり、諸国に神がいなくなることから「神無月」になったとする説があります。出雲国(現在の島根県)では反対に「神有月・神在月(かみありづき)」と呼ばれます。なぜ神様が出雲に集まるのでしょうか。その一説をご紹介します。

◆大国主神(おおくにぬしのみこと)という神様が出雲国での自らの地位を徐々に高めていき、偉大なる大国主への階段を上っていました。しかし、大国主神が国造りを成した頃を見計らって、天照大御神は国の返還を求めました。大国主神は、素直に国を譲り渡し、自らはその代償として得た出雲大社に隠棲し、「八百万の神」を統べることとなりました。そこから、毎年10月になると全国から八百万の神々が出雲に集まり、話し合いをされるという逸話が生まれました。

◆10月1日(土)有楽町朝日ホールにて第43回認定証授与式が開催されます。
この度認定を受けられる368名の生徒の皆さま、本当におめでとうございます。
皆様が積み重ね、努力された成果をお祝い申し上げます。

彩の栞第319号 「野分け」

吹き飛ばす石は浅間の野分きかな  松尾芭蕉

◆先月は1か月に4度の台風が上陸しました。過去の統計を振り返ると、8月に4つの台風が上陸したのは、1962年の1度きりですので、54年ぶりのことになります。台風に襲われる月となりました。

◆由来を遡ると平安時代になります。「源氏物語」にて、台風は「野分き」といわれていました。立春より数えて210日〜220日(現在の9月1日〜11日)の間によく吹く風なので、野分きは主に台風を指していました。また、気象用語として、風速32.7mの強風を「颶風(ぐふう)」といわれていました。明治時代初期に、気象学者の岡田武松が「颱風(たいふう)」を使い、当用漢字が定められた1946年以降は、「台風」という表記になりました。

彩の栞第318号 「奥ゆかしい」の語源

◆「心情やふるまいなどが上品で奥ゆかしい様子」等、深い心遣いが感じられて惹きつけられる様子を「奥ゆかしい」と表現します。

◆「奥ゆかしい」の語源は、「ゆかしい」は動詞「ゆく」の形容詞「ゆかし」で行きたいという意味です。
直訳すると、「奥まで(見に、触れに)行きたい」という意味になります。そこから「奥の方へ心がいざなわれる」 という感情を表すようになりました。さらに発展し、現代では「慎み深く上品で心惹かれる」「こまやかな心配りが見えて慕わしい」等、女性の控え目で上品な態度の形容として用いられるようになりました。

彩の栞第317号 「衣桁」

◆平安時代のころから、着物は「衣桁」という鳥居形の道具に掛け、風に当てて汗を乾かしていました。そして着物の下から香を焚きこめて臭いを消したりもしていました。

◆日本では古くから衣装を室内装飾とする伝統があり、平安時代には花見や儀式など「ハレの日」には鳥居型の衣桁に女房装束を美しく並べ架けて室内に飾ったのです。この伝統は近世(江戸時代)まで残っていて婚礼衣装を飾ったり、花見や観劇にも衣桁や衝立を持参したりして、脱いだ羽織などを飾って衣装の美しさを競い合ったといいます。

◆近代(明治時代以降)は室内装飾としての衣桁の役割は薄れ、持ち運びや移動が出来る折り畳み式の衣桁、「衣桁屏風」や「衣桁衝立」と呼ばれるものが登場し実用的なものとなっていきました。

彩の栞第316号 「金魚の楽しみ方」

◆「金魚」は日本文化の一つであり、夏の風物詩として馴染みが深いものです。金魚の先祖は、およそ1700年前に長江で発見された突然変異の赤いフナだったといわれています。そんな金魚が日本に初めてやって来たのは、室町時代末期。当時は高級品で、一部の貴族の間でひそやかに話題になります。

◆江戸時代初期においても金魚は特権階級の高価な贅沢品の一つで、「西鶴置土産」(井原西鶴著)の中に「大名の若子が金子五〜七両にて金魚を買い求め…」と記述がある通り相当なものであったのでしょう。しかし江戸中期になると、藩士が副業として金魚養殖を始め、大量生産されるようになると価格が下落。浮世絵・浮世草子等を通じて、金魚が沢山登場した事で瞬く間に庶民に広まり、江戸の町は一大金魚ブームとなりました。

◆当時はガラスがなく、陶器に入れて上から金魚を眺める「上見(うわみ)」こそが主流。上から見ると尾びれがひらひらと花の様に動き、横から見る方式の水槽では気づけない美しさを発見出来るのではないでしょうか。

彩の栞第315号 「入谷の朝顔市」

◆「朝顔市」の歴史は江戸末期の文化・文政の頃(1804年〜1829年)に始まります。朝顔は、奈良末期〜平安時代頃に遣唐使によって種子が薬として持ち込まれましたが、花の可憐さが愛され、やがて観葉植物として栽培されるようになりました。特に江戸時代に入ると品種改良が進み、様々な色と形の朝顔が現れ千種類に及ぶ朝顔があったといいます。

◆現在の御徒町付近の下級武士により盛んに育てられていた朝顔は、町の変貌や江戸幕府から明治政府への変遷により、いつしか入谷の植木屋で育てられるようになりました。当時、入谷一帯には蓮の田んぼが広がっており、そんな入谷の土が朝顔の生育には最適だったようで、栽培数はさらに増え「入谷の朝顔」として広く知られるようになりました。

◆「朝顔市」では、往来を止め、木戸銭(入場料)をとり、全ての人に開かれた市として人々に楽しまれていました。「涼しき朝風に吹かれ乍(なが)ら、朝顔を見又蓮の花を見るを得たり敷かば、観客頗(すこぶ)る多く、非常の盛況を呈したり。」と書き記されるほどの盛況ぶりだったそうです。大正時代に一度廃れたものの、戦後の昭和23年に復活、今や期間中40万人以上の人々が訪れる下町の夏の一大イベントとして人気を博し、毎年7月6日から8日まで開催される日本最大の朝顔市となっております。

彩の栞第314号 「水羊羹」

◆夏に美味しい水羊羹(みずようかん)。もともとはおせち料理の料理菓子として冬の時季に作られていたそうです。全国的にその風習も忘れられ、冷蔵技術の普及と嗜好の変化から主に夏に冷やして食されることが殆どではないでしょうか。

◆水羊羹には、葛を使用したもの・寒天製のものがあります。
1856年の『御菓子絵図之写』には、材料としてとして"氷砂糖・小麦のこ・あづきのこ・葛の粉"が記されており、この当時の水ようかんは葛と小麦粉で作られていたようです。寒天製のものは、寒天の歴史は1685年頃、伏見の美濃屋太郎左衛門によって発見されて以降。文献では寛政(1789〜)の頃、喜太郎羊羹が最初ともされています。

◆現在はプラスチック容器となっていますが、缶入りの水ようかんを日本で初めて作ったのが中村屋です。夏は和菓子が売れないので、甘味が少なくみずみずしく、涼しさを感じる和菓子を、と開発されたそうです。

彩の栞第313号 「ほたる(蛍)・浮世絵 落合ほたる」

◆「ほたる(蛍)」の呼び名の由来には諸説ありますが、江戸時代中期の語源辞典である「日本釈名」には『「ほ」は「火」也、「たる」は「垂」也、垂は下へさがりたるヽ也』とある様に「火垂る」が語源だとする説があります。

◆奈良時代では「日本書紀(720年頃)」・平安時代になると「万葉集」や「源氏物語」で、「蛍」の文字が記されています。「枕草子」では季節について「夏は夜。月のころはさらなり、蛍の多くとびちがいたる」と記されており、夏の風物詩であったことがわかります。江戸時代になると、浮世絵に蛍が飛ぶ情景や、庶民が蛍にふれる風景が描かれています。

◆神田川と妙正寺川が落ち合う町「落合(現:新宿区)」は、綺麗な水を求めて蛍がたくさん集まる江戸時代の観光スポットでした。浮世絵「落合ほたる:歌川豊国 作」 には、蛍狩を楽しむ人々の姿が描かれています。

彩の栞第312号 「三纈(さんけち):蝋纈、夾纈、纐纈」

◆古くから日本で行われてきた染色技法に、蝋纈(ろうけち:蝋を用いた防染)、夾纈(きょうけち:板等で挟む防染)、纐纈(こうけち)があります。これらを総称して三纈(さんけち)と呼びます。

◆纐纈は布をつまんでくくったり、縫ってちぢめたりして防染する方法です。夾纈(きょうけち)より、より自由な意匠が可能です。桃山時代には、幻の染めといわれる辻が花、江戸時代には鹿の子、疋田絞りなどがあげられます。

◇6月8日(水)〜11日(土)まで日本橋・サンライズビルにて『第23回彩染織美術館』が開催されます。
今回は、絞り製品を中心に製造を行っている呉服メーカー「藤娘きぬたや」による、ニューヨーク・メトロポリタン美術館所蔵の姉妹作品を展示公開いたします。『誰も創ることが出来ない絞り・誰も創ろうとしない絞り』をコンセプトに、複雑かつ繊細な絞りの技術で究極の美を追及した作品をぜひご覧ください。

彩の栞第311号 「大盤振舞(おおばんぶるまい)」

◆日本人は、お祭りやお祝い事があると、金銭や食事などを気前よく振る舞う文化があります。特に宴席などで参加者にふるまわれる豪華な料理を「大盤振舞(おおばんぶるまい)」といいます。

◆「大盤」は元来「椀飯(おうばん)」と書き、椀に盛った飯をすすめるという意味です。もともとは鎌倉時代の御家人が将軍に、主従関係を明らかにするために食事をもてなすことを指していました。
応仁の乱後、幕府における「椀飯」は行われなくなり、一般の武家社会では家臣が主君を接待する儀式から、年始や節供などに主君が家臣を接待する儀式へと変わっていきました。

◆やがてこの風習は民間にも広まり、年始に親類縁者や友人知人を招き、宴会することを「椀飯振舞」「節振舞」と呼び、これが転じて「大盤振舞」という言葉の語源となったといわれています。「大盤」はこの「椀飯」の字から転じて、一般化したものとされています。

彩の栞第310号 「桜の開花」

◆桜の開花状況を知るための指標として扱われている「標本木」は全国に96か所あるとされています。東京では靖国神社、大阪では大阪城公園にあり、5〜6輪咲いた状態が「開花」、8割以上開いた場合が「満開」となるそうです。

◆桜が見られるスポットとしては、川沿いに桜並木が多く見られる傾向があると思います。東京の場合は、目黒川、神田川、隅田川、石神井川などです。江戸時代、大雨が降るたび川が氾濫し、土手が決壊、洪水の被害に悩まされることがありました。土手の地盤をしっかり固めるために、多くの人にその土手を踏んでもらわなければならないわけです。そこで桜を植えて花見スポットにし、見物客を増やし、自然に地盤を固めてもらうという知恵から川沿いに桜が植えられるようになったと言われています。

彩の栞第309号 「ひな祭りの縁起物」

◆「ひなあられ」は、乾燥した餅を小さく分けて焼いたものです。ひな祭りの最後に菱餅をあられにして食したのが始まりではないかと言われています。菓子に付けられる白色は雪、緑色は木々の芽、桃色は生命をあらわしているといわれています。

◆「蛤(はまぐり)のお吸い物」は、蛤の二枚殻を離すと他の貝殻と合わないことから「良縁に恵まれる」こと、また殻が固く閉じられていることから「貞操を守る」といった意味があるそうです。よって「蛤」は「夫婦和合」の象徴とされ、結婚式にも縁起物としてよく出されています。

◇4月9日(土)「第42回認定証授与式」が、有楽町朝日ホールにて開催されます。

彩の栞第308号 「菅原道真の領地 『桑原』 ・結城紬」

◆落雷・災難などを避けるために唱えるおまじないの言葉として、「くわばら,くわばら」と唱えることがあります。菅原道真の領地・『桑原』には一度も落雷がなかったことや、和泉国(現大阪府南部)の言伝えとして、雷神が井戸に落ちた時、ふたをして天に帰さなかったところ、自分は桑の木が嫌いなので「くわばら」と唱えたら二度と落ちないと誓った、などという説話から発祥したといわれています。

◆結城紬の故郷、茨城県結城市の「市の木」である桑の木。蚕糸業に深い関係がある桑は、市内に昔から多く植倍され、「結城紬の街」にふさわしい木です。桑は春の新芽の芽吹く頃、まばゆいばかりの新緑の美しさを見せます。

◇3月より結城日帰り研修が予定されております。長年にわたり多くの先人たちの創意工夫によって織り継がれてきた結城紬。“重要無形文化財”に指定された3つの技術:【1、糸をつむぎ出す技術、2.柄付け技術、3.地機による製織】と、そこから織りなされる結城紬の繊細さ・美しさを実際に見て触れて確かめてみてはいかがでしょうか。

彩の栞第307号 「裁ち鋏(羅紗切り鋏)」

◆和裁・洋裁に用いられる日本の『裁ち鋏(ばさみ)=別名:羅紗切り鋏』のはじまりは江戸時代後期から明治時代までさかのぼります。当時の鋏は木製の植木用木鋏やU字型の「和ばさみ」などあまり機能的な物ではありませんでした。

◆安政6年、江戸千住の野鍛冶に生まれた吉田弥十郎は、廃刀令で刀の製作が出来なってしまったことで植木鋏等を作っていました。この頃、欧米から羅紗(ラシャ)布(:厚地の毛織物)が大量に輸入され、これと一緒に羅紗切鋏、いわゆる「裁ち鋏」も輸入されました。幕末に開業の洋服店で舶来の鋏を使って厚手の生地を裁断していたようですが、当時の羅紗切鋏は大きくて重く、日本人の服飾職人には扱いやすい道具ではなかったといいます。そこで得意分野である軽くて強い日本刀の鍛錬技術を応用して日本人に使い易い、今日の「裁ち鋏」に改良したのがこの吉田弥十郎でした。

彩の栞第306号 「懐石料理」

◆懐石料理とは、日本古来の一汁三菜という食法を基本にした料理で、茶の湯の席でお茶をいただく前に出されるものです。茶会の席上で空腹のまま刺激の強い茶を飲むことを避け、茶をおいしく味わう上で差し支えのない程度の料理になります。また、料亭や割烹などの日本食を扱う料理店で懐石料理を提供するところが増え、茶事における懐石を「茶懐石」と言って分けて表すことがあります。懐石料理は、「旬の食材を用いる」「素材の活かす」「気配り真心をもって調理する」という原則に則っており、千利休の侘びの思想が色濃く反映されています。

◆懐石料理の起源はその他の通り「懐(ふところ)に石を抱く」ということからきています。修行中の禅僧の食事は、午前中に一度だけと決められていました。そのため当然夜になるとお腹が空き、体温が下がってきます。そこで温めた石を懐に抱いて飢えや寒さを凌いでいたそうです。ここから懐石という言葉は、「少しでも空腹を満たし、身体を温める質素な食べ物」を意味するようになりました。

彩の栞第305号 「鏡餅」

◆お正月に家にお迎えした年神様の依り代(居場所)として床の間などに「鏡餅」を飾ります。昔から「餅」は神様に捧げる神聖な食べものとして、祝い事や祭りには欠かせないものでした。鏡餅の丸い形は人の象徴で、それが神事に使う鏡の形と同じだったので「鏡餅」と呼ばれるようになりました。餅を大小2つ重ね合わせるのは、月(陰)と日(陽)を表し、縁起がいいと考えられたためです。鏡餅を飾る日は門松と同じく、29日(苦餅=苦持ち、二重苦に通じる)と31日(葬儀と同じ一夜飾りに通じて縁起が悪い)を避けて飾り、1月11日の鏡開きにお汁粉などにしていただきます。その年神様の力はお供えした鏡餅に宿っていますので、鏡餅を食べることで新しい生命力をいただくことができる、ということだそうです。

◇1月31日(日)有楽町・帝国ホテルにて第21回「初春彩の集い」が開催されます。アトラクションゲストとして、抜群の歌唱力と表現力の豊かさで、オペラ界の新星として最も注目されているテノール歌手・山本耕平さんをお迎えいたします。全校の生徒が年始に一堂に集う素敵な機会。この日の出逢い、慶びを是非ご一緒に分かち合いましょう。

彩の栞第304号 「ちょんまげ・散切り頭」

◆江戸時代の男性の髪型といえば、「ちょんまげ」を想像される方が殆どでしょう。戦国時代に武士たちが兜をつける際、頭が蒸れてしまうのを防ぐためにあの様な髪形が発案されました。普通の髪で兜をかぶっていると、中が蒸れてずれてしまい、マゲをつくることで頭と兜との間に空間ができ水分を逃がすことができるそうです。

◆身分制度が固定化され、最上階層である武士への「憧れ」「格好の良さ」などから、町人も武士の髪型を真似てマゲを結い始めるようになり、それがやがて風習となったといわれています。マゲにも「武士だけに許される形」などを決められており、「ちょんまげ」を見ればその人の職業や社会的地位もすべてわかる程なのだそうです。

◆明治以降の『散切り頭』の急速な普及については、明治天皇の散髪が大きな転機とされています。明治7年6月の『東京開化繁昌誌』に「天皇すでに髪を断ちたまえば、率土(地の果て)の浜に至るまで、これを断ぜざるなし、いわんや大臣大将以下百官をや。その他、士となく農となく商となく工となく、みな断ぜざるはなし」と、その効果がいかに大きかったかが記されています。

彩の栞第303号 「掛け衿」

◆時代劇などで江戸時代の町の女性たちの着物の衿元に黒い生地がかかっているのに気付かれる方は多いと思います。
あの黒い衿は「掛け衿」といい、衿周りの汚れ(主に鬢付け油汚れ)を防ぐ為に付けられていました。当時も着物は洗うとなれば相応の手間がかかるものでした。それを軽減させる為、衿に汚れの目立たない黒衿を掛け、更にそれでも汚れた場合は衿だけを取り外して洗い、生地が悪くなると新しい黒い布に付け替えていたそうです。着物の色柄を選ばず黒い掛け衿は用いられ、着物が着られるうちは何度でもどの着物にも付け替えられるという便利さもあります。

◆文化・文政(1804〜1830年)の頃から、すでに黒衿は一部で流行り始め、当初は普段着だけで外出の際は外していたそうです。更には「贅沢禁止令」をきっかけに、良い着物を着ていても黒衿がついていることによって贅沢な着物として見せないという側面もあったとも言われ、やがて黒衿、そして黒淵の帯とがセットでお洒落コーディネートとして流行りだしたといわれています。NHK朝ドラマ「あさが来た」に登場する女性たちも黒衿・黒淵の帯をしていますね。

彩の栞第302号 「笄(こうがい)」

◆江戸時代に髪をかき上げるために使われた、箸状の細長い棒のことを笄(こうがい)といいます。
当初は男女とも櫛のような使い方をしていましたが、後に女性のまげに挿す装飾品として利用されるようになりました。そのため素材には金銀やべっこう、水晶、メノウなどの高級品も使われるようになります。

◆似て非なる「かんざし」と笄(こうがい)」。そもそも、かんざしと笄はその用途が異なるものでした。「笄(こうがい)」はあくまで髪をまとめる為の道具だったのに対して、「かんざし」とは純粋に髪飾りでした。よって、「笄(こうがい)」の形状は一方の端が太くもう一方が細くなっている細長い一本の棒である、ということです。

彩の栞第301号 「信玄袋」

◆信玄袋(しんげんぶくろ)とは、長方形の底に織物製の胴をつけ、上端にひも通しをしつらえた手さげ袋のことです。正しくは持物一切合財を入れられるという意味から「合財(がっさい)袋」とも呼ばれました。信玄袋の名称の由来に関しては、武田信玄の肖像画の背後にある袋物に似ているから、信玄弁当(三つ重ねの弁当)を入れたためとか、信玄(甲斐絹(かいき)の隠語)を袋に用いたためなどと、諸説ありますが、定かではありません。

◆女性用の袋物として考案され、1891年(明治24)に紋織でつくられ、風呂敷(ふろしき)より便利な雑貨入れとして用いられたのに始まり、革製の手提げ鞄(かばん)よりも、和装にあう便利なものとして明治30年代に流行しました。今でいうところのバスケット、トランク、スーツケースといった扱いだったようです。現在では「巾着袋」との区別がやや曖昧ですが、「巾着袋」とは異なる袋の大きさや用途によって呼び方が違ってくる、といったところでしょうか。

彩の栞第300号 「そばの歴史」

◆「そば」は種をまいてから収穫までの期間が非常に短く、種蒔き後4〜5日で芽が出、30〜35日頃に花が咲き、70〜80日で収穫になります。収穫は6月中旬〜8月中旬の収穫となる「夏そば」に対し、今は9月中旬〜11月中旬収穫の「秋そば」の季節だそうです。

◆昔の「そば」は粉を練ったものを食べていました。現在のように細長く切って麺として食べる様式が定着したのは江戸時代といわれています。江戸の町造りに全国から沢山の労働者や職人が集まり、簡単に安く食べられる物として、甲州(山梨県)や信州(長野県)から大量にそば粉を取り寄せ、労働者たちに振る舞い歓迎されたとのことです。

◆浅草・吉原の近く浄土宗称往院(しょうおういん)の院内にあった「道光庵」の庵主は信州松本出身のそば打ちの名手で、寺でありながら振る舞うそばが評判になり、まるでそば屋の如く大繁盛したそうです。道光庵の評判と繁昌振りにあやかろうと店名に「庵」をつけるそば屋が増えたといわれています。

彩の栞第299号 「椿油」

◆この時期に「椿」の木を見てみると、大きな「椿の実」を見つけることが出来ます。実はやがて紅を帯び、秋には褐色となり成熟を迎えます。『椿油』はその実から採取される植物性油の総称です。石油のない時代に貴重な油を採取するための貴重な資源でした。

◆日本人は千年も昔の平安時代から、食用や薬用、髪や肌のお手入れ、灯りの燃料、錆止め、木製品のひび割止めなど、様々な用途で椿油を使ってきました。江戸時代には高級天ぷら油として使われ、食通の将軍徳川家康も、椿油で揚げた天ぷらを食べていたといわれています。その後、椿油は整髪料として「日本髪」に欠かせないものとなります。

◆髪の毛・肌に潤いを与える皮脂の成分である「オレイン酸」を椿油は多く含んでいます。それだけ髪や肌になじみやすく、不乾性があるので保湿ができ、乾燥を防ぐ効果があるのだそうです。

◇10月10日(土)、有楽町朝日ホールにて第41回認定証授与式が開催されます。このたび認定を受けられた生徒の皆様おめでとうございます。素晴らしい節目を迎えた喜びをご一緒に分かちあいましょう。

彩の栞第298号 「日本酒」

◆日本酒の造り蔵や酒屋さんに杉玉(すぎたま)がつるされているのを目にします。杉玉は「酒林(さかばやし)」や「久寿玉(くすだま)」と呼ばれるものです。杉玉が意味するのは「街の人に蔵元の状況を知らせるため」です。日本酒の造りは9月ぐらいからはじまり、お酒を絞るのは10月。すなわち、その時期に杉玉を蔵の外に吊るすことで「日本酒を搾りはじめた」という“新酒の季節”を知らせる合図になります。

◆貯蔵した日本酒が夏を過ぎ、熟してまろやかになった日本酒のことを「ひやおろし(秋あがり)」といいます。ひやおろしが出てくる季節に杉玉が枯れて茶色がかり、新酒の熟成具合を知らせます。つまり、蔵の街や酒屋さんと訪れたときに青々とした杉玉を見かけたら『新酒の季節』。9月も半ばを過ぎ茶色がかった杉玉となれば『ひやおろしの季節』という具合、杉玉を通じて旬を見ることができます。杉には殺菌作用があるため、古くは造り酒屋では貯蔵庫の桶や樽も杉製のものを使用していました。

彩の栞第297号 「生け花」

◆『生け花』の始まりは室町時代、武士の間で「書院造り」という日本の伝統的な建築様式が確立され、この書院造りの「床の間」の飾りとして『生け花』の形が生まれました。『生け花』の発展の過程は「床の間」と深いかかわりがあります。「床の間」という座敷を飾る専用の空間ができ、掛け軸や香炉などの配置が決められ、花もまた床の間を飾る美術品と同様に考えられていました。江戸時代になり武士階級では大広間のある屋敷を持つようになると豪華で大型の『生け花』が要求されるようになり、「立花(りっか:多様な草木で大自然の風景を表現)」が確立されます。

◆江戸時代ではより簡素な「数奇屋造り」という住居が生まれます。町人達の間にも小さな「床の間」が普及し、より自由で日常的な「投入れ花(自然のままの風姿を保つように生けること)」がもてはやされるようになり、それを元に「生花(しょうか:草木の枝・葉・花を切り取り、花器に挿し、形を整えて飾ること)」が誕生します。さらにこの後、一般の住宅にも応接間が取り入れられ、『生け花』はその時代の住宅事情に伴って様々な表現のかたちをみせています。

彩の栞第296号 「犬矢来(いぬやらい)」

◆「犬矢来(いぬやらい)」とは、京都の町屋等に、道路に面した軒下に置かれるアーチ状の防護柵のようなものを指します。竹や木などでできたものが多いようですが、現在は金属製も多く用いられているようです。

◆木製の柱や板塀の地面近くの部分は車馬のはねる飛沫や雨が跳ね返り腐食しやすいので、その傷みを少しでも防ごうと考えられたのが、「犬矢来」であるといわれています。しかしながら「犬矢来」の由来にはその名の通り犬の放尿除けにあるとか、泥棒除けや、道路と家の敷地の境界線の役目を果たしていることなど諸説あるようです。

◆「矢来」は「遣らい(入るのを防ぐ)」の意味であり、「除け」という閉鎖的な意味合いがあることにも拘わらず、現在では訪問者に対して心理的な敷居を上げ、ひるがえって建物・街の格式を上げること、すなわち「京都らしさ」に通じるポジティブな意味を与えるものとして受け入れられています。
京都の木造建築にとけ込む竹細工の清々しさや曲線美など、現在では街並みにより風情と潤いを与えてくれているようです。

彩の栞第295号 「南部風鈴・江戸風鈴」

◆風鈴と言えばガラス製のものを思い浮かべる方が多いと思いますが、江戸時代までは風鈴といえば青銅製の風鈴が中心でした。浮世絵の中にも浴衣を着て縁側で涼んでいる女性と風鈴が描かれていることから、風鈴が江戸の生活になじんでいたという事を伺い知ることができます。

◆風鈴の音を聞くと、自然と心が癒やされるように感じる人も多いことでしょう。風鈴は形が複雑で、異なる高さの音が重なり合って聞こえてくることで、人間が心地よいと感じる『ゆらぎのリズム』を発生させているのだそうです。

◆風鈴のなかでも代表的なのが「南部風鈴」と「江戸風鈴」。南部風鈴は岩手の工芸品、「南部鉄器」でできたもので、南部鉄器の風鈴は『残したい日本の音百選』(環境省)にも選ばれているほどの美しい音色が特徴です。そしてもう一つの「江戸風鈴」はガラス細工の風鈴。切子細工などガラスの見た目の美しさからも涼しさを感じることができますね。
「涼しさ」というのは、心からも影響を受けるとも言われています。風になびき心地よい音色を奏でる風鈴をお伴に、「涼」を感じる夏はいかがでしょうか。

彩の栞第294号 「江戸切子」

◆1834年、江戸大伝馬町のビードロ屋(※)加賀屋久兵衛が、西洋の華麗なガラスに魅了され、金棒と金剛砂を用いて、手作業でガラスの表面に彫刻を施したことが「江戸切子」の始まりとされています。1853年の黒船・ペリー来航の献上品の中に加賀屋の切子瓶があり、その細工にペリーが驚いたという逸話が残されています。

◆江戸切子の文様としては、魚子(ななこ)文様の他に矢来・菊・麻の葉模様など着物にも見られる身近な和の文様を繊細に切子をしているのが特徴です。町民文化の中で育まれた江戸切子は江戸時代の面影を強くとどめた意匠や技法に優れたものが多く、代々職人たちによって受けつがれてきたことから「江戸切子」の名称も生まれ、優れた伝統工芸品として後世に残ることになりました。

◆関東大震災や戦火など、幾多の困難を経ても絶えることなく、組合の発足や都・国の伝統工芸品に指定され、現代でも素晴らしい作品を生み出しています。

(※)ビードロ=ポルトガル語でガラスのこと。

彩の栞第293号 「土用干し」 「正倉院の曝涼」

◆7月下旬〜8月上旬に虫干しの一環として行うものを「土用干し」といいます。梅雨明け後、梅雨で湿気を含んだきものを、虫の害やカビから防ぎ乾かすために行います。土用(どよう)とは、五行に由来する暦の雑節で、季節の割り振りで(立夏・立秋・立冬・立春)の直前約18日間を指す。現在は夏土用のみを土用と言うことが多い。1年中で暑さが最も厳しい時期です。

◆東大寺の正倉院は校倉(あぜくら)造りがされています。これは三角材でできていて、木材が吸湿・乾燥によって膨張・収縮することから、内部が一定の湿度以上にならないような仕組になっており、虫の害やカビを防ぐための工夫がされています。それでも年に1回、夏から秋にかけて宝物を表に出して風を通します。いわゆる虫干しです。これを「正倉院の曝涼(ばくりょう)」というのだそうです。

彩の栞第292号 「夏至」 「早乙女」

◆本日6月22日は「夏至」。夏至とは、「日長きこと至る・きわまる」という意味だそうです。
一年の中で、最も昼が長く、夜の短い日になり、正午の太陽の高さも、一年でもっとも高くなります。しかしながら時期は梅雨の真っ只中。日が長くなってきたな、と思いながらなかなか晴れ間も少ない時期に「夏至」という日を意識しなかったりするのではないでしょうか。

◆紺の絣の単衣に赤い襷(たすき)、白い手ぬぐい、新しい菅笠を着用して、苗を田に植える女性の画が「田植え祭り」のニュースなどで見る機会があるかと思いますが、彼女たちのことを『早乙女(五月女)』と呼んでいます。日本の古くからの稲作は,特定の水田に祭場を設けて田の神を迎え作業を行うことから、「早乙女」さんはその神事の「ハレ役」なのだそうです。「早乙女」さんの衣装のこうした華々しさは、田植が重要な行事であったことを物語っているといえます。

彩の栞第291号 「水引幕」

◆相撲で、土俵を囲む吊屋根に張られている細長い幕のことを「水引幕」といいます。
前の取組みで勝った力士から水を貰い受ける「力水」、取組みが中断することを意味する「水入り」など相撲には水に関する言葉が多いですね。塩とともに水は「不浄の塵を払う」と考えられているそうです。この「水引幕」も土俵上の浄化・熱気を鎮める目的で張られているのだといいます。

◆幕には 「房」 が四方に垂らされていますが、東西南北で色が決められています。これは「方位」の他に「四季」を表しており、赤→夏(南)、白→秋(西)、青→春(東)、黒→冬(北)となっています。

彩の栞第290号 「志毛引き染め・板場友禅」

◆「志毛(しけ)引き染め」とは、生地に美しい線を描く、古くから伝わる染めの技法です。京友禅の手描き染め技法の一つで櫛(くし)状の「しけ」と呼ばれる刷毛で、何色もの志毛を引き、髪の毛のように細い筋の縞柄を染め付ける「幻の技法」と呼ばれています。

◆また、「板場友禅」は、友禅染の技法のひとつで、長い一枚板の上に生地を張り、型紙をおいて染めるものです。板に載せた生地に刷り込んでいくことから、板場友禅と呼ばれます。

◇6月10日(水)〜13日(土)、日本橋・サンライズビルにて『第22回彩染織美術館』が開催されます。美術館コーナでは上記手法の極致『「手染め屋 吉兵衛」秘蔵品展』を開設いたします。皆様のご来場心よりお待ち申し上げております。

彩の栞第289号 「荒船風穴」

◆荒船風穴は、明治38年、自然の冷気を利用し石材を組み上げて建設した蚕の貯蔵施設で世界遺産「富岡製糸場と絹産業遺産群」の一つとして登録されています。

◆風穴の構造物の隙間からは夏でも2°C前後の冷風が吹き出し、現在もなお操業当時と変わらぬ冷風環境が維持され、肌を通じて史跡を体感することが出来ます。今月の大型連休中も多くの観光客がこの場所を訪れていました。

◆江戸時代まで蚕の飼育は気候に合わせた中心に春を年内1蚕しかできませんでしたが、年間を通して涼しく、温度変化の少ない山間の風穴を利用することによって、人工的に蚕種を保存する技術が進み、明治半ば以降には年内2蚕、年内3蚕と増えていきました。こうした風穴の技術が絹糸の増産を生み、日本の近代化を下支えしていたといえるでしょう。

彩の栞第288号 「矢羽根文様」

◆『矢羽根文様』の「矢羽根」とは矢の上部につける、鷲(ワシ)、鷹(タカ)、雉(キジ)などの羽根のことで、「矢羽」(やば)とも呼ばれます。破魔矢等の様に「魔をはらう」、または「的を射る」など、縁起の良い伝統文様といえるでしょう。

◆矢羽根文様の発祥は古く、形や羽の斑文の面白さから文様化され、並列した矢羽根が美しく意匠化されたものが、桃山時代の胴服(羽織の古称・綿入れの羽織)にもみられます。

◆江戸時代、嫁入りの際に矢羽根文様の着物を持たせると出戻ってこない(射た矢が戻ってこない)といわれるようになり、縁起柄とされるようになりました。やがて小紋などにも矢羽模様が使用されるなど一般的となり、矢羽模様をさして「矢絣(やがすり)」と呼ばれるようになりました。

彩の栞第287号 「染井吉野」

◆日本には沢山の種類の桜がありますが、日本の桜の約八割を占めるのが、いわずと知れた「染井吉野(ソメイヨシノ)」です。桜の代表格ともいえる「染井吉野」は、江戸時代末期に、染井村(現在の豊島区駒込)の植木屋が、「大島桜(原産:伊豆大島)」と「江戸彼岸桜」を交配して観賞用に作りだしたものなのだそうです。

◆当初は桜で名高い奈良県吉野にあやかり「吉野桜」という名でしたが、吉野山の山桜と間違えないように「染井吉野」と改称されたそうです。
花が大きく香りもよい「大島桜」の華やかさと、花が咲いたあとに葉が出てくるという「江戸彼岸桜」の特徴が合わさり、開花時の迫力から「染井吉野」は一躍人気となりました。「染井吉野」は両方の桜の特徴を上手く受け継いだものといえるでしょう。

彩の栞第286号 「桜餅」

◆桜の季節になると食べたくなるのが桜餅。その桜色と桜の葉が春を感じさせる、とても風流な和菓子です。同じ桜餅でも関東(江戸)風と関西(上方)風があり見た目が異なります。

◆桜餅には、大きく分けて関東風の「長命寺」(ちょうめいじ)と、関西風の「道明寺」(どうみょうじ)2種類の桜餅があります。関東風の「長命寺」の桜餅は昔、長命寺の門番が考案したものとされ、小麦粉などの生地を焼いた皮で餡を巻いたクレープ状のお餅。一方「道明寺」桜餅はもち米を蒸して乾燥させ粗挽きした「道明寺粉」で皮を作り餡を包んだ、まんじゅう状のお餅で、つぶつぶした食感が特徴です。

◆現在餅を包む桜の葉はやわらかく毛が少ないオオシマザクラの葉を塩漬けにして使っており、全国の70%ほどが伊豆半島の松崎町で生産されています。

彩の栞第285号 「啓蟄」 「筍」

◆晴れたり、雨が降ったりと天気が変わりやすいこの頃。いよいよ冬から春へ季節の変わり目を迎えていることの表れでしょうか。

◆啓蟄とは、3月5日頃(今年は6日)土の中で縮こまっていた虫【蟄虫(ちっちゅう)】が穴を開いて【啓(ひら)いて】這い出てくることを意味する節気のことをいいます。冬の寒さに耐えていた動植物が春の到来を感じて活動し始める、いわゆる芽吹きの季節を迎えます。

◆芽吹きといえば筍(たけのこ)。国産の筍は3月から5月にかけて旬を迎えます。筍は成長が速く、芽が出て10日以内のものをいい、それを過ぎると竹になってしまいます。まさしく筍は限られた時期の中で食される「旬」の食材です。春の筍は味はもちろん柔らかく、香りもよく、春らしい味覚といえるでしょう。日本では「孟宗竹(もうそうちく)」のことを指しますが、ほかにも「淡竹(はちく)」や「根曲竹」「真竹」「寒山竹」など、食用できるものは10種類以上あります。

彩の栞第284号 「鶯」「塩沢織物」

◆「梅に鶯」とは、取り合わせのよい二つのもの、よく似合って調和する二つのもの、仲のよい間柄のたとえをさす慣用句です。

◆「鶯谷」という地名も鶯がついています。江戸時代、寛永寺に京都から赴いた皇族らが上野の地の鶯の鳴き声は耳に合わず美しくないと感じて、わざわざ京から鶯を運ばせました。この地に放ったことで、その美しい声の鶯が多く育ち名所として知られるようになったことから「鶯谷」と呼ばれ始めたといわれています。

◇塩沢織物の生まれ故郷である南魚沼市塩沢地方では、1200年以上前から越後上布(苧麻から紡がれた糸から織られた生地)の産地として発祥し、冬の雪深い風土と長年の技術に培われ、江戸時代の中ごろにその技術を絹織物に応用したものが生まれたといわれています。現在、塩沢の織物は越後上布、塩沢紬、本塩沢、夏塩沢と四つに分けられます。3月9日(月)〜14日(土)の塩沢研修でその違いを勉強して参りましょう。

彩の栞第283号 「立春大吉」

◆「節分」は「立春」の前日にあたります。翌2月4日は立春。旧暦に於いて立春がお正月なのに対して、本日3日の節分は「大晦日」の役割があるので、一年間の厄払いのために豆まきを行うのだそうです。

◆立春の早朝、「立春大吉」と書いた紙を門前に掲げる習慣があります。禅寺で「厄除け」として門に張られたことがはじまりといわれています。
縦書きした「立春大吉」の文字が四文字すべてが左右対称になり、裏表から見ても「立春大吉」と読むことが出来て縁起が良いとされ、一年の無病息災を願うおまじないとしてこの習慣ができたといわれています。

◆春を告げる風「春一番」は、立春を過ぎ、春分の日(3月21日)までの間に吹く強い南風のことです。春一番が吹けば、芽吹きの季節。来月の末にはソメイヨシノの開花のニュースを耳にする事ができるでしょう。

彩の栞第282号 「寒の水」

見てさへや惣身にひびく寒の水   小林一茶

◆1月20日は「大寒」。寒さがさらに厳しくなり、1年中で最も寒い時期です。武道や修行に打ち込む人は寒稽古や、水をかぶる水垢離(みずごり)をしたり、滝に打たれたりする荒行など、耐寒のためのいろいろな行事が行われます。また、寒気を利用した食べ物(寒天、酒、味噌など)を仕込む時期でもあります。

◆小寒(1月6日)から節分(2月3日)の間の期間を「寒の内」と言いますが、その時期に汲んだ水のことを「寒の水」といい、その水には雑菌が少なくとても体に良い状態であるとされています。寒の時期に作られた味噌や醤油、酒は「寒仕込み」と呼ばれ、特別なものとされました。「寒の水」が味噌・お酒・醤油などに使われた商品はとても長持ちするといわれています。

◇1月24日(土)は東京虎の門ホテルオークラにて「初春彩の集い」が開催されます。

彩の栞第281号 「だるまの歴史」

◆群馬県高崎市豊岡・八幡地域を中心に、張り子のだるまづくりが始まったのは、200年以上前からといわれています。眉毛は鶴、鼻から口ヒゲは亀、縁起の良い二つの動物をお顔に表現しており、「福だるま」「縁起だるま」とも呼ばれています。

◆富岡製糸場などで知られる群馬県は昔から養蚕が盛んな地域です。蚕は繭を作るまでに4回脱皮しますが、蚕が古い殻を割って出てくることを「起きる」といいます。その言葉にかけて、養蚕農家では七転び八起きのだるまを大切な守り神として奉ってきました。また冬に風が強く乾燥する風土において、紙を張る・色を塗るなどの行程の中が、だるま作りに適しており、農閑期の副業として盛んに行われてきました。

◆高崎では年間約90万個のだるまを出荷しています。その数は全国の張り子だるまの8割を占めており、全国津々浦々で縁起物として親しまれています。

彩の栞第280号 「紀伊国屋文左衛門」

『沖の暗いのに白帆が見ゆる、あれは紀ノ国みかん船』(三波春夫浪曲:豪商一代 紀伊國屋文左衛門より)

◆江戸時代、材木商として巨万の富を築き「紀文大尽」と称された紀伊出身の豪商・紀伊国屋文左衛門(きのくにや ぶんざえもん)が、みかんの江戸への出荷を海路で計った様子を唄ったものです。

◆みかんの産地で知られる紀伊、現在の和歌山県では、みかんが豊作の年はかなりの安値で取引がなされていた一方で、江戸ではまだ大変高価なものとして取引されていました。
ある年、悪天候が続き江戸への船路が途絶え、江戸ではみかんの値が高騰。そんな機を見た紀伊国屋文左衛門が大金を借り、みかんを買い集め、危険覚悟で嵐の太平洋に船出したというエピソードがあるそうです。みかんが不足していた江戸では高値で飛ぶように売れ、文左衛門は巨額の富を得ることができたということです。

◆みかんは日本人が一番食べる果物で、寒い冬、コタツを囲んでの団欒(だんらん)風景が浮かびます。

彩の栞第279号 「鶴(たづ)」

◆この時期になると越冬地の日本へ鶴の便りが届きます。北は釧路周辺、南は九州の出水や、山口県の八代などに集まる鶴の話題がニュースに上り、まさに季節の風物詩と云えます。

若の浦に 潮満ち来れば 潟をなみ 葦辺(あしへ)をさして 鶴(たづ)鳴き渡る
(山部赤人 万葉集 巻六 九一九)

◆鶴は古くは「たづ」と呼ばれ、平安時代以降に「鶴(つる)」と呼ばれるようになったそうです。
古来より「鶴は千年」といわれ「長寿を象徴する吉祥の鳥」として、また夫婦仲が大変良く一生を連れ添うことから「夫婦鶴=めおとづる」といわれて「仲良きことの象徴」の鳥として、鳴き声が共鳴して遠方まで届くことから「天に届く=天上界に通ずる鳥」といわれるなど、人々の間で「めでたい鳥」として尊ばれてきました。

彩の栞第278号 「火鉢」

◆歌舞伎の舞台にもしばしば登場する「火鉢」は古くからの代表的な冬の暖房器具で、奈良時代から使われるようになったものです。

◆火事が社会問題であった江戸では火事の防止のため煙が上る囲炉裏は江戸の街中では禁止されていたこともあり、木炭を使用する火鉢は家の中に置くには便利な道具です。長い時間火の力を保つことができたので、遠赤外線の力で体の芯から暖まったことでしょう。炭を入れて持ち歩く携帯カイロなども登場していました。

◆江戸期には木を使った箱火鉢、長火鉢、くりぬき火鉢などのほかに、金属製の金火鉢や焼き物の瀬戸火鉢など、調度品または趣向品としても楽しめるスタイルが好まれるようになりました。火箸、鉄瓶を置いて湯を沸かす五徳、そして煙草盆などと共に、人々は粋に火鉢の周りでを過ごしていたようです。
昭和20年ごろまで居間には欠かせなかった火鉢―。

「見てをれば 心楽しき 炭火かな」 日野草城

炭火が柔らかく燃える温かさは人の心を安らがせ、心のゆとりを与えてくれる趣向ともいえるのでしょう。

彩の栞第277号  「細川紙」

◆先月、「細川紙」の紙漉き技術が、「石州半紙」「本美濃紙」と並んでユネスコ(国連教育科学文化機関)の無形文化遺産に登録される見通しとなりました。細川紙は、手漉きの技術が国の重要無形文化財に指定されており、現在、埼玉県小川町と秩父郡東秩父村のみでその技術が保持されています。

◆「細川紙」の呼称は諸説ありますが、紀州高野山麓の細川村で漉かれていた細川奉書が、江戸時代の始まりとともに、江戸の中心部にほど近いこの小川周辺に入ってきたものと言われています。

◆細川紙は、貴族や武家などの高級な奉書紙ではなく、近世商人や町村役所で好まれた庶民の生活必需品としてつくられてきた歴史があり、丈夫で素朴でありながら温かみのある紙質が特徴とされてきました。仮に細川紙が江戸時代に移入されたとしても、小川町周辺にはそれよりも前から紙漉きが行われていたと言われています。

◆学院の一級着付講師認定証は、小川町で漉かれた和紙が使用されており、学院のなでしこのロゴの透しが入っています。ぜひ手にしていただければ和紙の持つ美しさと温もりを体感していただくことが出来ます。

彩の栞第276号  「秋の女神・竜田姫」

◆紅葉の名所でもある、奈良平城京の西に位置する竜田山。その竜田山にある竜田大社祭神、竜田姫は『秋の女神』とされています。

竜田姫たむくる神のあればこそ秋の木の葉の幣(ぬさ)と散るらめ 兼覧王 〜古今集〜

◆昔、日本の四季は四人の女神が支配していると言われていました。
竜田山は奈良の都の西にあたり、五行説で西は秋の方角であることから、竜田姫は秋をつかさどる女神とされ、春を司る佐保山の“佐保姫”と東西・春秋の一対の女神として知られています。

◆竜田の「竜」の音が「裁つ」に音が似ていることから、古くから“裁縫の神”としても信仰されています。また竜田山を彩る紅葉の美しさから、紅葉を赤く染める女神として染色が得意な神様ともされているようですよ。

彩の栞第275号  「千秋楽」

◆千秋楽(せんしゅうらく、千穐楽)は、複数日にわたって同じ演目を行う興行において、「最終日」を指す言葉です。本来は江戸期の歌舞伎や大相撲における用語でしたが、現在では広く演劇や興行一般で用いられています。
 
◆「千秋楽」の語源は諸説ありますが、能・狂言の終りに、雅楽の曲名「千秋楽」を奏したからといわれています。
その曲名が「興行の最後を飾るもの→最終日」という意味に転じたとされています。

◆「千秋楽」はまた、千秋万歳(せんしゅうばんぜい:歳月の非常に長いこと。また、長寿を祝う言葉)という言葉に通じるという意味で、幾久しく興行が栄え、初日から〝千秋楽″までの大入りが願われているそうです。

彩の栞第274号  「萩」

◆「暑さも寒さも彼岸まで」と言われるように、春の彼岸は農作業が始まる時期で、秋の彼岸は収穫の時期にあたります。春には収穫をもたらす山の神などを迎えるため、「牡丹」ににせた「ぼたもち」を、秋には収穫を感謝して季節の花、「萩」にちなんで「おはぎ」を作ったとも言われています。

◆お月見に於いては、萩・薄(ススキ)を月見団子と共に月に供える風習があります。秋の七草の元となった、山上憶良の歌、「萩の花 尾花 葛花 瞿麦(くばく)の花 女郎花 また藤袴 朝貌(あさがお)の花」の初めに詠まれるあたり、秋の花として非常に身近であったことがうかがえます。


◇10月4日(土)、有楽町朝日ホールにて第39回認定証授与式が開催されます。このたび認定を受けられた生徒の皆様おめでとうございます。素晴らしい節目を迎えた喜びをご一緒に分かちあいましょう。ご来場心よりお待ち申し上げております。

彩の栞第273号  「野分(のわき)・長月の由来」

◆「野分(のわき)」とは野を分けて草木を薙ぎ倒し、荒れくるう暴風のことを指す言葉で、すなわち台風のことといわれています。立春から数えて二百十日目ごろに吹く風とされ、ちょうど9月1日ごろにあたります。稲の開花期にあたるため、昔から農家にとって厄日とされています。

◆長月の由来は、「夜長月(よながつき)」の略であるとする説が最も有力といわれています。
秋の夜長、夜の長い月を略し長月となったようです。『改正月令博物筌』に 「長月」とは、『夜初めて長さをおぼゆるなり。実に長きは冬なれども、夏の短さに対して、長さを知るゆえなり』と記されています。

◆今年2014年の「中秋の名月」は9月8日(月)です。秋雨前線や「野分」と雨の多くなる季節にありながら、顔を出す風物詩。一昨年は曇り、昨年は晴れでした。さて今年は?

彩の栞第272号  「弁天の石橋低し蓮の花 子規」

◆不忍池は江戸時代より浮世絵に描かれるほどの蓮の名所です。天海僧正が寛永寺を創建した際、不忍池を琵琶湖に見立てて島を築き、のちに弁天祠が移されました。その弁天島の茶屋では、名物として蓮飯を食べることができた(「江戸名所花暦」より)といいます。島へは当初、船でしか渡ることができませんでしたが、寛文12年(1672年)に石橋が架けられ、徒歩でも渡れるようになりました。

◆戦時中の食糧難のため池を埋め立てて水田になってしまったこともありましたが、戦後の普及により復活、現在も蓮の名所、風物詩として多くの人に楽しまれています。不忍池の蓮の見頃は7月中旬〜8月中旬ごろと言われています。

◆蓮の花は開花する際につぼみが割れる音がするそうです。
「朝毎に上野の不忍の池では、蓮華の蕾が可憐な 爆音をたてて花を開いた」川端康成・『帽子事件』より / 『静けき朝音たてて白き蓮花のさくきぬ』 啄木

彩の栞第271号  「畠から西瓜くれたる庵主かな」

◆今日、日本で西瓜(すいか)が今のように甘くなったのは、明治時代以降品種改良によって現在の甘さになったようです。中国では甘さが少ない事から西瓜に砂糖をかけて食べる事が多い一方、現在日本では逆に塩をかけて甘さをより引き出す手法が一般的なようです。

◆昔、西瓜に砂糖をかける作法は戦国時代末に中国より伝えられており、飛喜百翁(ひきひゃくおう)という人物が千利休を招いた際に西瓜に砂糖をかけたという記録が残されています。しかし、千利休は砂糖のかかっていない部分だけを食べ、「百翁は饗応(きょうおう)のなんたるかを理解していない、西瓜には西瓜の美味しさがあるのに」と語ったと言う話が残されています。江戸時代中期(1677年)の『俳諧類船集』には「水瓜(=西瓜)はさたう(砂糖)なくては味もなし」という川柳があり、実際に砂糖を掛ける食べ方があったようです。

◆日本で本格的に西瓜を食べ始めたのは、江戸時代中期ごろのようで、「裁ち売り」という露天での切り売りにより、江戸や大阪でも庶民の食として定着していったようです。

彩の栞第270号  「麻の葉模様」

◆麻は大変成長の早い植物なので、忍者の訓練で、種を蒔き、成長するごとに毎日飛び越える訓練に用いたというほどです。種類によっては4ヶ月程度で3〜4mにまで成長するといわれています。また、麻は服などを作るための繊維を採取できるので、まさに一石二鳥の作物であるといえます。
麻には虫よけの効果もあり、転じて魔よけの意味も生まれ、伝統的に神職の儀式に用いられています。神社の注連縄(しめなわ)や横綱の化粧回しなどは大麻から作られています。

◆前述のような由来もあり、「麻の葉模様」は、縁起の良い模様になっています。伝統的な子どもの産着は、「麻の葉模様」となっています。
また麻はどんなに厳しい環境にあってもすくすくと成長することから、無病息災に、たくましく成長することを願い、「麻衣子」「麻美」など名前に「麻」が用いられているようです。

彩の栞第269号  「漆(うるし)」

◆「漆器」は日本を代表する伝統工芸品です。光沢のある赤や黒の織りなす日本美は海外からも評価が高く、日本の代表的な輸出品だった名残から、漆器を「japan」と英訳されるほどです。深みや光沢のある黒を表す「漆黒」とは「漆のように黒く光沢のあること」なのだそうです。

◆茶碗などに塗られる漆は「ウルシノキ」から採取される樹液を精製したもので、漆器に艶を生み出し、防腐や防蝕、防虫などの効果があります。漆を木から採取する「漆掻き」は夏が最盛期で主に7月から9月までを中心に行われます。

◆平成19年に始まった世界遺産・日光東照宮の「平成の大修理」には、国内流通の99%が中国産である中、防蝕効果の強い国産の漆をすべての修復工程で使用することになっているそうです。

彩の栞第268号 「二見興玉神社」

◆今年の夏至は6月21日。一年で、昼間が最も長く、夜が最も短い日です。冬至と比較すると、昼間の時間差は4時間以上あります。暦の上では夏季の真ん中にあたりますが、実際には梅雨の真っ盛りで、農家では田植えに繁忙を極める頃。暑さのピークは1カ月ほど先になります。

 
◆「夫婦岩」で有名な二見興玉神社では、太陽の力が最も溢れる夏至の日の出と共に禊(みそぎ)をする祭典、「夏至祭」が夫婦岩の前で行われます。古くから二見浦一帯は、伊勢参宮を控えた人々が心身を清める神聖な場所でした。夏至の未明より「夏至祭」行われ、続いて日の出の時刻に合わせてその浜辺で汐水を浴び禊行事が行われます。天候が良ければ、富士山の背から差し昇る朝日を拝することが出来るそうです。

彩の栞第267号 「葛布(くずふ)」

◆「葛布(くずふ)」は葛の蔓(つる)の繊維を糸にして織り上げた布です。
葛は日本中で見かける植物で古代よりおられてきた自然布の一つです。遠州地方(静岡県西部)は江戸時代に日本の中で唯一の産地となった事からこの地方で織られる葛の繊維を使った織物を「葛布」と称していたそうです。

◆緯(よこ)・経(たて)糸の両方に葛糸が用いられているもののほか、経糸に絹や麻、木綿の糸を用いるものもあります。機械で紡績した糸で織られた製品のほか、葛粉をとったあとの繊維を糸にしたものを用いる場合もあります。
古代日本においては庶民の被服や上流階級の喪服、江戸時代には裃や袴の生地に使用されていました。現在では襖張りや壁張り、表装や装本用の布などで用いられることが多いそうです。

◇6月11日〜14日に日本橋サンライズビルにて開催される『彩染織美術館』では、世界に誇る日本の伝統工芸品“佐賀錦”をご覧いただきます。

彩の栞第266号 「佐賀錦」

◆「佐賀錦(さがにしき)」は、肥前国鹿島藩(佐賀県鹿島市周辺)の家中に受け継がれた織物です。金銀箔を漆で和紙に貼り、細く切った「箔糸」を経(たて)糸とし、絹糸を緯(よこ)糸にするのが特徴です。その発祥地の名前から、「鹿島錦」とも呼ばれています。

◆組台の上で箔糸と絹糸を「へら」と「編針(あばり)」で織りこみ、1日に数センチという精緻さで幾何学文様を織り出すまさに芸術品です。出来上がりは気品のある華やかさ、和紙を使った独特の風合を併せ持っています。帯地として用いられるほか、バッグや財布といった小物の生産がおこなわれています。

◇6月11日(水)〜14日(土)、日本橋・サンライズビルにて『第21回彩染織美術館』が開催されます。会場内「手織り佐賀錦展」コーナーにて、その佐賀錦の美しさを体感するこができます。

彩の栞第265号 「風薫る」「八十八夜」

◆時候のご挨拶で“風薫る五月”といいますが、この「風薫る」は、もとは漢語の「薫風」で、訓読みして和語化したものです。「かぜかをる軒のたちばな年ふりてしのぶの露を袖にかけつる」(藤原良経)のように当初は花の香りを運んでくる春風のことを指すことが多かったようですが、徐々に若葉を吹きわたる爽やかな初夏の風の意味に変化してきたそうです。
●「風かほる羽織は襟もつくろはず」(芭蕉)/「薫風や恨みなき身の夏ごろも」(蕪村)

◆今年は5月2日に「八十八夜」、5月5日に「立夏」を迎えました。八十八夜は、立春から数えて88日目です。"八十八"という字を組み合わせると「米」という字になることから、この日は農業に従事する人にとっては特別重要な日とされてきました。「八十八夜の別れ霜」などと言われ、八十八夜は霜のなくなる安定した気候の訪れる時期になるといわれています。

彩の栞第264号 「小松菜の歴史」

◆現在通年を通して日本の食卓に上がる青菜である『小松菜』。「江戸野菜」だということをご存じでしょうか?江戸初期には武蔵国葛飾郡(現在の江戸川区)の小松川付近で多く栽培されたため、「葛西菜」と呼ばれるようになり、これを品種改良したのが「小松菜」と名付けられた青菜です。

◆「小松菜」名付け親は、かの八代将軍・徳川吉宗だと言われています。現在の江戸川区の小松川付近へに鷹狩りにやってきた八代将軍徳川吉宗が、神社で御膳に出された青菜の美味しさに感激し、地名の小松川から小松菜と名付けよ、としたことが由来とされているそうです。

彩の栞第263号 「黒文字」

◆茶道の世界で「黒文字」とは和菓子用の高級楊枝のことを指します。春に黄緑色の花をつけ、香油もとれる「黒文字」の木の枝から作る楊枝の別名です。かつては茶席の主人が客をもてなすときに、一本ずつ黒文字の枝を新たに削って楊枝をつくるのがならわしだったそうです。

◆「クロモジ」の木材とその樹脂には独特な香りがあります。楊枝のサイズよりも大きめに切り出した材を用いて、お菓子を取る箸にする場合もあり、どちらの場合でもお客様に出す時は黒文字の香りを立たせるために濡らしておくことが通例になっています。

◆茶席で使われる黒文字は、懐紙に包んで持って帰り、楊枝の裏に日付や茶会の場所、菓子の銘などを記し、記念にしておくこともあるそうです。

彩の栞第262号 「油箪(ゆたん)」

◆「油箪(ゆたん」とは、ひとえの木綿布や紙に油をしみ込ませた、箪笥(たんす)・長持ち等調度や器物を覆い湿気や汚れから防ぐためのもの、または敷物・風呂敷のことをいいます。琴の覆いや、獅子舞で人が被り舞う胴幕(かや)も「ゆたん」といいます。

◆用途として桐箪笥に油箪(ゆたん)を被せるということがよく知られています。桐箪笥は美しくも繊細な箪笥で、色焼けしやすく汚れやすいという点があります。油箪を掛けていた桐箪笥と、掛けていなかった桐たんすでは、数十年後に 見比べてみると、あきらかに状態がちがうのだといいます。湿気の多い場所では掛けっぱなしでは通気が悪くなる場合もあり、時々油箪をはずし空気を通すとよいのだそうです。

彩の栞第261号 「雛祭り・桃の節句」

◆「雛祭り」が「桃の節句」と呼ばれるのは、桃の花が咲く頃に中国では紙や土で作った人形を川に流す行事(上巳の節句)があり、それが日本に伝わったからなのだそうです。

◆枝いっぱいに花をつける桃は生命力が強いと考えられ、邪気を祓い、あらゆる病気を治す神聖な木として尊ばれました。その力にあやかり、子供たちが元気に育つことを願って、雛祭りに桃を飾り、桃花酒(とうかしゅ=桃の花を刻んで浮かべたお酒)を飲むこと等から「桃の節句」の呼び名が定着したといわれます。本来の旧暦では桃の花の方が梅よりも手に入り易い季節だったこともあるようです。

◆「桃」と「梅」、それから「桜」の花の見分け方ですが、花びらの先端が「桃」=尖っている、「梅」=丸く、「桜」=先割れ、のような違いがあります。
また、桜の花柄(かへい:花弁をささえる茎)は長いので、枝からこぼれるように咲いているものは「桜」、枝にくっつくように咲いているものは「梅」か「桃」の花、というふうになります。

彩の栞第260号 「亀甲絣」「本場結城紬」

◆「亀甲絣」とは絣柄の一つです。亀の甲羅と似ているのでこの名があります。幾何文様としては、最も古く、中国では、漢代(紀元前202〜紀元後220年頃)にすでにこの図があったといいます。亀甲は長寿吉兆を表す文様として扱われ、日本においては、正倉院や、有職(公家・宮中に仕える人)の錦にこの文様があります。

◆精緻な亀甲の柄に代表される紬(つむぎ)の産地である『結城』。茨城県結城市とその周辺で織られている素朴な風合いの紬織物で、伝統技法(高機・地機)を現代に伝える唯一の本場結城紬織物です。今日では最も高級な先染織物のひとつとされ、平成22年にはユネスコ無形文化遺産に登録されました。

彩の栞第259号 「節分・豆まき」

◆季節の変わり目には邪気が出るから大豆を使って豆をまき、邪気=鬼を払うというのが節分行事の本来の役割です。その邪気払いの風習の一つが「柊(ひいらぎ)と鰯(いわし)を玄関に置いておく」という風習です。

◆紀貫之の「土佐日記」にも、「小家の門の注連縄の鰯の頭、柊らいかにぞいひあえなえる」とあり、柊(ヒイラギ)に魚の頭を刺して魔除けにする風習が記されています。これは柊の葉の棘が鬼の目を刺すので門口から鬼が入れず、また鰯を焼く臭いと煙で鬼=(災害や病気)が近寄らないと言われて昔から伝わってきたものです。

彩の栞第258号 「小正月・餅花」

◆元日から7日までを「大正月」というのに対して、15日を中心にした数日を「小正月」と呼びます。これは太陰暦では満月を月の基準にしていて、ちょうど満月にあたる15日が年頭に当たるためです。

◆小正月は別名「女正月」ともいいます。それは女性たちが暮れのお節料理の支度や年末年始のお客様の接待などがひと段落し、忙しかったお正月の疲れをとるための休息日とされています。地方によっては、この時期は男が家事一切を行い女性を休ませるという風習も行われているそうです。

◆小正月に飾る「餅花」は、餅や米粉を団子状に小さく丸めて、エノキ・ヤナギなどの枝に花のように飾りつけ、 神棚の近くや応接間などに飾るものです。これは稲の花を表していて五穀豊穣を願って作られます。 木綿の盛んな地域では「もめん玉」、養蚕が盛んな地域では「繭玉」と呼んでそれぞれが豊かに採れるよう祈っていたようです。

彩の栞第257号 「祝い箸」

◆おせち料理とともに並ぶ丸箸は祝い箸(いわいばし)と呼ばれます。両口箸とも呼ばれ、両端が細くなっているのは、一方を神様が使い、一方を人が使うという『神人共食』を意味しています。1年の恩恵を授かる意味から年神様と食事を共にするわけです。3日までの「三が日」か、1月7日までの「松の内」までは、こちらの箸を使うものとされています。

◆迎春はもとより、婚礼などの神様を迎えるハレの日の食膳には欠かせない箸です。両端が細く、中程が太いことから、五穀豊穣の俵箸または子孫繁栄のハラミ箸とも言われています。材料は柳。しなやかで折れることがないことから縁起がよいとされ、また白木の香りが邪気を祓うと信じられてきました。

彩の栞第256号 「冬至・一陽来復」

◆今年昼が最も短く、夜が最も長い「冬至」は12月22日。日本や中国では「陰が極まり再び陽にかえる日」という意の「一陽来復(いちようらいふく)」といい、冬至を境にまた運や力がよみがえってくる日としています。

◆冬至に柚子(ゆず)湯に入ると1年間風邪をひかないといわれています。柚子(ゆず)=「融通」がきく、冬至=「湯治」。こうした語呂合せの意味から柚子湯に入ると思われていますが、「一陽来復」の運を呼びこむ前に厄払いするための禊(みそぎ)であるといわれます。冬が旬の柚子は香りも強く、強い香りが邪気を払うという考えに基づいたものです。端午の節句の菖蒲湯も同じ意味合いがあるようです。

彩の栞第255号 「小春日和」「山茶花と椿」

◆この時期、「小春日和(こはるびより)」という言葉をよく天気予報で耳にすると思います。
「小春」は、旧暦では10月頃の別称で、太陽暦ではほぼ11月から12月上旬に相当する時期です。そのころの穏やかな晴れの日のことを小春日和と呼びます。

◆似て非なるものの花のに、山茶花(さざんか)と椿(つばき)があります。いずれもツバキ科の植物であるゆえによく似ていると言えます。山茶花と椿が最も違うのは花の散り方なのだそうです。椿は武家が嫌ったように、花ごとぽとりと落ちますが山茶花は、花びらが一枚一枚はらはらと散ってゆくのでまた違った風情が感じられますね。

彩の栞第254号 「熨斗」

◆「熨斗(のし)」とは、一般的には慶事における贈答品に添える飾りのことで紅白などの色紙に黄色の細長い紙が挟まれています。これは元来干した鮑(あわび)だったものが簡略化されたものです。熨斗は結婚式、快気祝い、出産祝い、お中元・お歳暮などに用いられます。

◆「熨斗」という名前の由来は一説には、挟む鮑の製法が「伸(の)した鮑」であることから「熨斗鮑」に転じ、省略されて「熨斗」となったのではいうものです。

◆あわびは昔から高級品で縁起物とされ、お祝いの際に贈られていました。鮑を干したものは長期間の保存がきく上に栄養価も高いので、鎌倉時代より武家に好かれ、出陣や帰陣の際にで贈られたそうです。江戸時代は保存が長期間きくことから延命や不老長寿の象徴とされ好まれたそうです。また、干しあわびの臭いは邪を払う効果があるとされ、熨斗の付いた贈り物は清らかで穢(けが)れのないものとされたそうです。そのために、贈り物には和紙に包んだ干しあわびを贈ることが習慣となり「熨斗」が誕生したといわれています。

彩の栞第253号 「七五三の由来」

◆七五三は旧暦11月15日に館林城主である徳川徳松(5代将軍徳川綱吉の長男)の健康を祈って始まったとされる説が有力とされています。

◆ひとえに「七五三」といい、その年齢にやる同じ行事のように捉えられていますが、実際には、それぞれの年齢で行う別々の行事なのです。

七五三の元来の行事は、
・数え年3歳を「髪置きの儀」とし、男女とも行い、江戸時代は、3歳までは髪を剃る習慣があったため、それを終える儀式。
・数え年5歳は「着袴(ちゃっこ)の儀」とし、男子が袴を着用し始める儀。おととし秋篠宮悠仁様が迎えられてたことは記憶に新しいですね。
・数え年7歳は「帯解きの儀」とし、女子が幅の広い大人と同じ帯を結び始める儀。   

◆江戸時代に始まった神事である為、旧暦の数え年で行うのが正式とはいいますが、現在では満年齢で行う場合も多いようです。

彩の栞第252号 「畳と日本の歴史」

◆「畳」は日本人の生活の知恵が生み出した、世界に類のない固有の文化です。語源は、元々御座など敷物の総称で、薄い敷物を何枚も積み重ねたこと、使用しないときは畳んだものであったことからの由来だそうです。

◆畳が現在のような形状になったのは平安時代からで、権力の象徴として貴族の邸宅の所々に置かれるようになりました。室町時代になると部屋全体に畳が敷きつめられるようになり、客をもてなす座具から建物の床材として浸透していったのです。江戸時代になると茶室の手法を採り入れた数奇屋風のものになり、町人の住まいに引き継がれていきます。江戸時代中頃には、「畳師」と呼ばれる職人が登場し、畳干しする家々の光景があちこちで見られるようになりました。

◆湿気が多く、夏暑く冬寒い日本の気候の下では、畳の調湿・断熱効果が古くから住宅に不可欠の存在でした。他にも、畳には防音効果や、空気清浄効果もあるといいます。
畳と日本人の関係は1300年もの歴史を経てつながっており今も深く日本の住文化に根づいているのです。

彩の栞第251号 「水引」

◆「水引」とは、贈り物の包み紙などにかける和紙でできた紐で、 細く切った和紙をこ撚り状にして、糊水を引いて(のりを塗る)、乾かして固めたものであることからその名前の由来があるとされています。現在では、さらに金銀の薄紙を巻いたり、極細の繊維を巻きつけて作られたものをよく目にします。

◆宮廷への献上品には紅白の麻の紐で結ぶ習慣があり、室町時代後期になると麻の紐の代わりに紅白あるいは金銀に染め分けた紙糸が使用されるようになりました。
特に、昔から和紙作りが盛んである飯田(長野県)において、江戸時代より水引製品の多くが製造され、現在全国の水引製品の約70%を生産しています。他に加賀水引、京水引などがあります。

◆結婚式のトップシーズンは「春」と思われていますが、実は日本においては結婚式が一番行われる季節は「秋」だといいます。気候の安定と官公・企業にとって一般的にイベントが少ないことなどがあげられるそうです。裏を返せば、ご祝儀袋と縁が多い季節とも言え、その「水引」に目を留めてみてはいかがでしょうか。

彩の栞第250号 「稲妻」

◆稲妻は、「稲の夫(つま)」の意味から生まれた語。古代から稲の結実時期に雷が多いことから、雷光が稲を実らせるという信仰がありました。
そのため、稲妻は「稲光(いなびかり)」「稲魂(いなたま)」「稲交接(いなつるび)」とも呼ばれています。

稲妻の「つま」は、古くは夫婦や恋人がお互いに相手を呼び合う言葉で、男女関係なく「妻」「夫」ともに「つま」といいました。
稲を実らせるという信仰から、「稲の夫」の意味で、現代では「つま」という語に「妻」が用いられるため、「稲妻」になったといわれています。

◆前述のような稲妻の豊作信仰によって、「稲妻紋」「雷紋」など家紋として使用されてところもあります。紋様は直線が繋がりながら曲折していく幾何学的模様で、古くから陶器、漆器、金工、木彫、建築などに用いられています。

◆秋の長雨・台風なども重なり、梅雨の6月よりも降水量の多い9月(東京)。不安定なお天気にぜひご注意を。

彩の栞第249号 「重陽の節句」

◆9月9日の「重陽(ちょうよう)の節句」は、五節句の一つで、旧暦では菊が咲く季節であることから菊の節句とも呼ばれていました。3月3日「桃の節句」、5月5日「端午の節句」など奇数の重なる月日は陽の気が強すぎるため不吉とされていました。奇数の最大数である9月9日はもっとも負担の大きい日であるので、邪気を払い寿命を延ばすと信じられていた菊を使い、さまざまな風習が伝えられています。たとえば「菊酒」を飲みながら宴を催し、菊を眺めながら厄祓いや長寿祈願をしていました。

◆また菊は日本の伝統的な花であることもあり、重陽の節句には必ず菊を美しく生ける催しが各会派の華道で行われています。
華道では季節の節目ごとに季節を象徴する花を生ける行事が開かれることになっていますが、その節目の中でも特に重陽の節句の菊は特別な行事として取り扱いがされています。
しかし旧暦から新暦となり、まだ菊が盛んに咲く時期ではなくなってしまったことで、一般的に目立った節句ではなくなってしまったのかもしれません。

彩の栞第248号 「甘酒の歴史」

◆甘酒といえばお正月を連想してしまいそうなものですが、江戸時代では、甘酒は主に夏に飲まれていました。栄養豊富な甘酒は、夏バテを防ぐ意味合いもあり、体力回復に効果的な飲み物とされていました。夏の厳しい暑さに耐えるために一杯の甘酒を気付けに活力を得ていたようです。

◆江戸や大坂(大阪)市中には、夏になると甘酒屋が「甘酒〜、甘酒〜」と声を張り上げて売り歩いていたことが古文書に記述されており、冷やしたものまたは熱したものを暑気払いに飲む習慣があり、俳句では現在でも夏の季語となっているように、まさに夏の風物詩だったようです。武士の内職として作られていて「甘酒売り」という職業もあったぐらいで、当時の江戸幕府は庶民の健康を守るため、誰でも購入できるよう甘酒の価格を最高で4文(およそ72円ほど)にしていたそうです。

彩の栞第247号 「氷献上」

◆暑さも盛りを迎える8月。体の火照りと喉の渇きを癒すアイスやかき氷はこの時期を乗り切るには、現在ではごく一般的な嗜好です。

◆冷蔵庫などない江戸時代においては氷は貴重品でした。
毎年、旧暦6月1日頃になると、加賀藩(石川県)の城内にあった氷室から採られた「氷」が幕府への献上品として夏に氷が金沢から江戸まで運ばれていました。江戸庶民には夏の風物詩としてこの“氷献上”が広く知られていたようです。
加賀藩から江戸までの最短経路およそ480キロの道のりを、大名飛脚たちが交代で昼夜問わず運び、通常10日掛かるところを4〜5日間で江戸まで届けたと言われています。蓆(むしろ:ワラなどを編んだ敷物)と笹の葉で何重にも包んだ氷を桐箱に入れて担ぎ、時には水を箱にかけて冷やしながら運び継いだそうです。

◆当初60キログラム程の氷が江戸に着くころには600グラムほどになっていたといいますから、当時の氷の運搬は非常に過酷で氷の価値も相応に高かったということです。

彩の栞第246号 「茗荷(みょうが)」

◆茗荷(みょうが)は日本独特の香味野菜です。そうめんなどの薬味をはじめ、さわやかな風味と食感が夏を感じさせるものです。
茗荷は本州から沖縄まで自生する多年草で、ショウガの一種です。香味野菜として日本では古くから親しまれていますが、食用に栽培しているのは日本だけで、インドや中国には野生種はありますが、食べることもないそうです。日本でしか食べられない野菜のひとつです。

◆東京都文京区にある「茗荷谷(みょうがだに)」は、江戸時代に茗荷の栽培が盛んで、畑が沢山あったためにつけられた地名だそうです。

◆また茗荷は、家紋のデザインにも多く用いられています。これは茗荷の読みが「冥加(神仏の加護や恩恵)」に通じ縁起が良いとされているからです。
「藤紋」や「桐紋」などと並んで『日本十大紋』の一つとされており、使用されている紋は「抱き茗荷」や「丸に抱き茗荷」など70種類以上あるといいます。

彩の栞第245号 「季節の風物詩・朝顔」

◆今から1200年ほど前の奈良時代、遣唐使が中国から持ち帰ったといわれる朝顔。朝顔には下剤の成分が含まれており薬用として日本に持ち込まれたようです。それが江戸時代になると庶民の娯楽として愛されるようになり、品種改良や突然変異による「変化朝顔」の鑑賞も盛んになり、八重咲きや花弁が大きく切れたり、反り返ったりして本来の花型から様々に変化したものが生まれたようです。
こうした珍しい朝顔は高値で売買され、下級武士たちが内職としてその栽培と、花や葉の色・形・模様が特徴的な朝顔を掛け合わせて改良に励んだといわれています。また朝顔の苗木を売り歩く行商も盛んで、その売り声は当時は季節の風物詩ともなっていたようです。

◆『朝顔屏風図』
メトロポリタン美術館(米)所蔵の六曲一双の屏風図。江戸時代後期の画家・鈴木其一(すずききいつ)の作品。ひとつひとつ丹念に開花した朝顔の図が活き活きと描かれており、尾形光琳の「燕子花図屏風」をも連想させます。

◆『朝顔三十六花撰』
嘉永年間に出版された「変化朝顔」について記述された書籍。三十六歌仙にちなんで36種の朝顔の突然変異種が描かれています。

彩の栞第244号 「番傘と蛇の目傘」

◆「和傘」と呼んだり「番傘」と呼んだりするものですが、「番傘」とは元々は和傘の一種だそうです。
骨太な竹と油塗りの和紙のシンプルでがっしりとした丈夫さがあります。「番傘」は江戸時代に生まれ、庶民の間では安価なので広く使用されていました。白地の和紙に旅館や商家の屋号や番号をつけてお客に貸すようになったことからそう名前がつけられたといいます。

◆対して「和傘」とは一般に使用される和紙の色が様々であること、柄の部分が細めで藤巻(=滑らないように紐を巻く)がしてあり、女性はもちろん男性でも問わず持ちやすく出来ています。
中には「羽二重」と呼ばれ、和紙とその上に絹布を施し、より丈夫に発色をよくした高級品があり、当時としてはそちらは上流階級向けといえます。

◆一方、「蛇の目傘(じゃのめがさ)」は、白い輪が入った柄行が上から見た時に、蛇の目に見える事からこの名前がつきました。今では無地や、各種の和傘も全て「蛇の目傘」と呼ぶ場合があり、細身の美しい和傘の総称として使われます。

彩の栞第243号 「悉皆(しっかい)屋」

◆6月は、「袷」から「単衣」のきものへ衣替えの季節。先月までお召しになった、きもののお手入れはもうお済でしょうか?

◆『悉皆(しっかい)屋』とは、着物のしみ抜き・刺繍直し・仕立て・洗い張りなど、着物に関する御用をお願いする業者をさす言葉です。「悉皆」とは、文字のとおり「ことごとく、すべて」という意味です。
なぜそれが着物の御用を承る仕事を指すようになったかというと、一説には江戸時代に、業者がお得意先まわりをして染物の注文を受けるかたわら、京都で生産されるいろいろの商品、例えば髪飾り・紅・白粉嫁入り道具など『悉(ことごと)く皆(すべて)』の顧客の依頼に応じたことや、広範囲の呉服の知識とセンスも持った人として、『悉皆屋』といわれるようになったとも伝えられています。

◆前述のとおり悉皆が「残らず、全部」を意味することから、私たちが日常よく使う「しっかり」という言葉もここから生まれたという説もあります。

彩の栞第242号 「久米島紬」

◆『久米島紬』の染色は、沖縄県久米島に自生する植物からとれる天然染料のみを用いて行われるのが特徴です。
テカチ(車輪梅)、グール(さるとりいばら)、山桃や椎などの根や木材を煎じた液で染めをしたり、ユウナ(おおはまぼう)の炭で染めたものなど、特殊な染色方法等が知られています。
基本色は、光沢のある黒褐色、赤茶色、灰色、黄色など、染めや煮出す回数に応じて色の濃淡を調節します。今回の彩染織美術館のポスターのモデルになっている作品のように淡いブルーの色を表現することも出来ます。

彩の栞第241号 「益鳥・燕(ツバメ)」

◆燕(ツバメ)は日本では、古くから水稲栽培において穀物を食べず害虫を食べてくれる益鳥として大切に扱われてきました。ツバメもそんな人間のくらしに寄り添うように「人が住む環境に営巣する」ということを習性とし、地方によっては、人の出入りの多い家、商家の参考となり、商売繁盛の印ともなっています。また、ツバメの巣のある家は安全であるという言い伝えもあり、巣立っていった後の巣を大切に残しておくことも多いといいます。4〜5月に日本へ渡ってきて巣作りをし、10月頃南国へと旅立っていきます。

◆「ツバメが低く飛ぶと雨が降る」という観天望気(【かんてんぼうき:天気のことわざ】があり、湿度が高くなるとツバメの餌である昆虫の羽根が重くなって高く飛べなくなり、それを餌とするツバメも低空を飛ぶことになるからと言われています。

◆漆器の椀(わん)・折敷(おしき)などで、ツバメの口のように、外側が黒く内側が赤く塗ってあるものを「燕口:つばめくち」とよぶそうです。

彩の栞第240号 「梨園」

◆前回に引き続き歌舞伎にまつわるお話です。
「梨園(りえん)」この言葉を耳にしたことはありませんか?「梨園の妻」や「梨園の貴公子」などとよく呼ばれるものです。
歌舞伎の世界をさしての言葉ですが、梨園というのはなぜでしょうか?

◆これは中国の唐の時代、皇帝の玄宗(げんそう)の故事に由来します。玄宗は音楽や舞踏などが大好きで、自らも舞楽をたしなみ、人にも教授していました。
その音楽や芸術などを指導する養成所の場所こそが、宮廷内の梨の木が多く植えられている庭園だったといいます。
そして、玄宗皇帝の元で音楽などを教えてもらっている人達を、「梨園の弟子」 と呼ぶようになりました。

◆転じて、歌舞伎や音楽・舞楽といった芸術に携わる人たちを「梨園」と呼ぶようになりました。
日本では民間芸能が多く成立・成熟した江戸時代から使われるようになった言葉で、近年では、特に一般社会とはかけ離れた慣習を持ち、特殊な芸能社会である歌舞伎の世界に限り使われる言葉になっているようです。

彩の栞第239号 「歌舞伎・こけら落し」

◆いよいよ明日4月2日より改築中であった東京銀座の歌舞伎座が「こけら落し」を迎えます。
高層ビルと一体となった歌舞伎座は外観、内装の壮麗さはもちろん、ゆとりある座席、2階、3階席からでも花道が見やすい構造など、より快適な観劇ができるよう様々な工夫がされたそうです。ビルの5階にはギャラリー・屋上庭園が整備されるなど、伝統を引き継ぎながらもより親しみやすく、スケールアップした歌舞伎座。きものでのお出かけ先にぜひ足を運んでみてはいかがでしょうか。

◆「こけら落とし」の「こけら」とは材木を削った際にでる切りくずのことをいいます。新築や改装の最後に屋根についた「こけら」を払い落としたことから、完成後の興行を「こけら落とし」と呼ぶようになったそうです。

彩の栞第238号 「お花見の歴史」

◆早いもので気付けば3月の半ば。4月を目前にして桜前線が北上してきています。
都内では皇居の東御苑や浜離宮庭園など将軍家ゆかりの地の桜、小石川後楽園・六義園・大名屋敷跡の大枝垂桜をはじめ、みごたえのある桜の大木が並びます。

◆将軍家が庶民のために整備した花見の場として、三代将軍家光の時に「上野寛永寺(現:上野公園)」や天海僧正により桜が植樹されたという「吉野山」などが挙げられます。
士農工商の身分社会の中で、花見という庶民の息抜きの場を作っておき、一揆など暴動などが起こる危険性を避けようというわけで、江戸幕府によって、花見の場が計画的に整備されました。
その他、八代将軍吉宗によって享保の改革で1270本ものソメイヨシノを植えたという「飛鳥山」は、より開放的な庶民の花見の名所とされました。

彩の栞第237号 「ひな祭りと菱餅」

◆ひな祭りにお雛様と一緒に飾られる三色の「菱餅」。
なぜひな祭りには菱餅なのでしょうか?現在のようなひし形のお餅を飾るようになったのは、江戸時代の頃からのようです。その起源は諸説があるようですが、お正月の「鏡餅」からだとか、また、宮中でお正月に食べられた菱葩餅(ひしはなびらもち)が起源、などがあります。

◆下から白、緑、赤(桃)と三色に積み上げられていますが、それぞれが雪、芽吹き、桃の花をあらわし、冬から春への移り変わりを表しているのだそうです。

◆白い餅は「菱の実(水草の一種)」のでんぷんを入れ、子孫繁栄や長寿で居られるという意味があります。
緑の草餅は初めは母子草(ハコベ)で作られた草餅でしたが『母と子を臼と杵でつくのは縁起が良くない』と連想され、平安時代ごろより代わりに蓬(よもぎ)が使われはじめたそうです。
赤い餅は解毒作用のある山梔子(くちなし)で赤味をつけ厄祓い・健康を願う、という意味が込められています。

菱餅にはひな祭りの由来でもある「身の穢れ(けがれ)を祓う神事」という意味が込められているのでしょう。

彩の栞第236号 「歌舞伎・役者屋号の由来」

◆どうして歌舞伎役者は「屋号」をもっているのでしょうか? たとえば故 中村勘三郎氏なら「中村屋!」、故 市川団十郎氏に対してならなら「成田屋!」と呼びます。 
◆江戸時代初頭において、歌舞伎役者は士農工商よりも低い身分、「河原者:かわらもの=歌舞伎役者などを卑しめていった語)」とされていましたが、歌舞伎の人気上昇により経済、社会的地位、発言力が向上したため幕府も歌舞伎役者の身分を認めるようになりました。
◆身分の認められた歌舞伎役者は表通りに家を建てられるようになりました。しかし「表通りに家を建てることができるのは商人の家、商店」という決まりになっており、それに倣って小商売をはじめ、「○○屋」という屋号を付けることになったのだそうです。商店を持つ者同士がお互いのことを屋号で呼び合うことは倣い、ということでこの慣習が一般に広まり今日の役者屋号となっています。

彩の栞第235号 「紅梅の襲の色目」

◆四季を二十四節気に分ける時、2月の立春(節分)から春が始まります。
暦の上では春なのにまだまだ寒さの厳しい季節が続いております。日が覗く日中に微かに春の足音を感じ取ることができます。
◆2月は梅の季節でもあります。「枕草子」の清少納言は、
「すさまじきもの(=興ざめするもの)。昼ほゆる犬。春の網代(あじろ:鮎などを捕らえる仕掛け)。三,四月の紅梅の衣。」
3、4月に紅梅の襲(かさね:十二単の色の取り合わせ)の色目を着るのは興ざめと言っています。
紅梅の襲の色目は、2月までの着用と決められていて、季節に鈍感なことは教養のないこととされていたようです。

彩の栞第234号 「無形民俗文化財・粥占い」

◆小正月の1月15日に全国で行われる行事として「粥占い」があります。お粥を炊いて、その年の農作物の豊凶を占うというものです。
◆最も多く行われている占い方として、米の他、大豆や芋など品目を記した葦(アシ)や竹など、中が空洞になっている棒を粥の中にいれて煮立て、炊き上がった後に棒を割いて中に入った粥の数で占ったり、粥の中に棒を入れて、粥がこの棒にどれくらい付着するかで占うものもあります。
◆管にいっぱい詰まっているのを十分(じゅうぶ)として、豊凶を判定します。稲が十部から九分入っていれば、台風が来ないであろうとし、他の作物の豊凶で水害や干ばつを想定します。
◆粥占いで有名なところでは、埼玉県の「三峰神社 筒粥神事」や兵庫県の「伊弉諾(いざなぎ)神宮 粥占祭」などがあります。
「粥占い」は日本各所で無形民俗文化財とされており、全国的に歴史ある行事であることがわかります。

彩の栞第233号 「振袖の歴史」

◆成人式で艶やかな振袖姿の新成人が集う光景は、日本の通年行事の中で華やかなワンシーンといえるでしょう。
◆振袖の特徴である大きく脇があいた袖は、元々大人に比べて体温が高い20歳以下の男女や子供の体温を発散・一定に保つために作られたもので、装飾的なことよりあくまでも実用面に重点がおかれていました。
◆振袖が今の様に未婚女性の着物となった事の一説に、江戸初期の踊り子の風俗が上げられます。振袖を舞踊の際に装い、長い袖が踊りの中で感情表現の役割を持っていました。袖を左右に振ると「好き」、前後に振ると「嫌い」という意味がありました。それを未婚の娘達が真似をして大流行し、それが習慣として出来上がったと言われています。

彩の栞第232号 「炬燵(こたつ)の歴史」

◆伝統的な日本の家屋では、機密性が低かったことから、部屋そのものを暖めるよりも、体のみを暖める方法が有効でした。中でも炬燵(こたつ)は、布団を使用するので、その中は機密性が高く、足や下半身、または全身を暖めるのには最適だったのではないでしょうか。
◆室町時代、消えかけの炭に「紙子(かみこ)(麻クズを原料としたもの)」という紙で仕立てた服を被せ、その上にやぐらを置いて布団をかけ、暖を取ったのが炬燵(こたつ)の始まりといわれています。この頃は囲炉裏(いろり)を使用しており、江戸時代に炭を陶器に入れることにより、こたつ自体の移動ができるようになり現在のこたつの原型になりました。

彩の栞第231号 「千代紙の由来」

◆千代紙(ちよがみ)は、伝統的な遊びである折り紙を作るほか、紙人形の衣装、工芸品や化粧箱の装飾に貼られる、紋や柄の豊かな和紙です。元は贈り物の包装紙として用いられた絵奉書(祝儀用書簡)が、木版摺りの技術と結びついて生まれたものです。
◆「千代紙」という呼称の由来には、千代田城とも呼ばれた江戸城の大奥で好まれたことや、図柄に松竹梅、宝尽くしなどめでたいものを多く扱っているからなど諸説あります。
◆千代紙には京千代紙と江戸千代紙があります。
京千代紙は、公家方文化を象徴するように有職文様の他、京の風土や年中行事などの意匠にちなむ文様が主流なのに対し、江戸千代紙は「粋:いき」に代表される江戸特有の風土に根ざした意匠が多く、歌舞伎など芝居をモチーフとした、歌舞伎十八番、隈取り、役者紋づくし、定引縞など、艶やかな色使いのものが多いとされます。

彩の栞第230号 「丹前(たんぜん)」

◆丹前(たんぜん)とは、防寒用として衣服の上に重ね着する、綿入れの男用の家庭着のことです。
浴衣の上に重ねて一つ前にあわせて着衣し、細帯を締めます。
長着と同じ丈で通し裏、柄はやや派手なもので、表布は綿織物、黄八丈、紬類、お召などの絹織物と様々です。
丹前は本来はぜいたくなくつろぎ着で、結城紬の衣服の上に着衣したといわれています。
江戸時代初期のころ、堀丹後守(たんごのかみ)邸前にある風呂屋に通う男伊達の異様な装いを「丹前風」といい、これが上方へ移って丹前とよばれ、防寒着の一種となったといいます。

彩の栞第229号 「口切りの茶事」

◆茶道の世界では、11月の炉開きの後で行われる「口切りの茶事」は、茶人の正月ともいえる大切な行事で、重々しく受けとめられています。
◆「口切り」とは5月に摘んだ新茶を茶釜に入れて封をし、味がまろやかになったこの時期に、茶釜の口を切って臼を廻して抹茶にします。それを篩(ふるい)にかけ濃茶薄茶の味をみる茶事で、流派の1年を占う重要な行事なのだそうです。
◆茶道にとって大切な日ですので招く方、招かれる方ともに格のある装いが求められます。亭主(※)、お客様ともに色留袖、または紋付の訪問着がよいでしょう。亭主はお客様より控えめな装いが望ましいといわれます。
※亭主=茶事を主催する人のこと。

彩の栞第228号 「モチーフは秋の七草」

◆秋風になびき、ざわめくススキを見るとき、郷愁にも似た秋の趣を見出すのは日本人ならではの感性です。ススキが広がる草原は、まさに金色のじゅうたんのようで、秋ならではの景色を楽しむことができます。
◆ススキの草原が有名な箱根の仙石原や、奈良の若草山で行われる「山焼き」は、春先にススキを野焼きしています。野焼きをしないとススキの草原に次第に樹木が侵入し、ススキの原として維持することができなってしまうので、一年に一回全部焼き払って草原を残すようにしているのだそうです。
◆東京・雑司ヶ谷鬼子母神(きしぼじん)では、ススキの穂をミミズクの姿に作った民芸品が有名です。
◆もみじのほかにも、ススキを含め「秋の七草」をモチーフにした柄ゆきの帯や着物も秋のおしゃれには欠かすことのできないアイテムといえます。

彩の栞第227号 「トンボ・秋津島」

◆日本では古くトンボを秋津(アキツ、アキヅ)と呼び、親しんできました。日本の国土を指して「秋津島(あきつしま)」とする異名があります。水田の多い日本には、蚊やハエなどを捕食するとんぼが古代からたくさんいたようで、日本人にはとても親しみのある秋の虫です。
◆トンボが「勝ち虫」と呼ばれ縁起物であり、前にしか進まず退かないところから、不転退(退くに転ぜず、決して退却をしない)、勇猛果敢で勝負強い精神を表すものとして、特に武士に喜ばれたようです。戦国時代には兜や鎧、刀の鍔(つば)などの武具、陣羽織や印籠の装飾に用いられたりしました。

彩の栞第226号 「八掛選び」

◆9月も半ばですが、まだまだ単衣のきものが手放せない陽気です。あと2週間で10月、ぐっと秋深まる季節が目の前までせまっています。9月の末頃には袷のきものの準備をしておきましょう。
◆秋は紅葉や実りなど、景色が色づく季節。それに合わせた、柄の袷のきものや帯を選んでいくとお洒落感もぐっと増すことでしょう。また、裏地である八掛選びも袷のきものの楽しみといえます。
◆八掛は、地方によっては「裾廻し(すそまわし)」ともよびますが、女物の袷のきものの袖口や裾の裏に胴裏と合わせてつける布地のことです。身頃と衽(おくみ)で六枚の上に衿先の真二枚を加えて計八枚となるのが「八掛」の根拠とされています。現在は男物や子供の袷には通し裏をつけるのが普通ですが、女物は逆に胴裏と裾に分けるのが通例となっています。

彩の栞第225号 「仲秋の名月」

◆今年2012年は暦の上では9月30日が十五夜、いわゆる「仲秋の名月」です。「仲秋」とは旧暦では、7月、8月、9月が秋で、真ん中の8月が「仲秋(中秋)」ですので、新暦ではおよそ一箇月ずれ9月となります。
◆中国から仲秋の十五夜に月見の祭事が伝わると、平安時代頃から貴族などの間で観月の宴が楽しまれ、直接月を見ることよりも、舟に乗り水面に揺れる月や杯(さかずき)にそれを映して楽しんだといいます。
◆現代では、月が見える場所などに、すすきを飾って月見団子・里芋・枝豆・栗などを盛って、御酒を供えて月を眺めるのが定番です。
地方によってはこの時期収穫されたばかりの里芋を供えることから、十五夜の月を「芋名月」と言うところもあるそうです。
◆9月は秋雨や台風シーズンにあたりますので、「中秋の名月」は晴天には恵まれないことが多いようです。江戸時代より「中秋の名月、十年に九年は見えず」ともいわれていますが、今年ははたして・・・。

彩の栞第224号 「藍染め」

◆江戸時代に盛んに着られるようになった浴衣。なかでも藍染の浴衣は防虫効果があるので、虫が多く出る夕方以降に藍地のゆかたを着て外出したと言われています。
◆藍で濃く染めた布や紙は虫やマムシを寄せつけないと言われ、野良着やモンペに、防臭効果もあるので足袋や仕事着に藍染めが用いられました。もともと漢方として伝来した藍は、あせもやかぶれ、皮膚病にも殺菌効果があり、現在でも靴下や下着といった製品に藍染の効能が生かされています。
江戸時代は阿波藩における生産が盛んであり、現在でも徳島県の藍染め『阿波藍』は全国的に有名です。
◆『青は藍より出でて藍より青し』ということわざは、藍の葉から作る青の染料は、原料の藍の葉よりもずっと青くてきれいなことから、「教えを受けた者が師を追い越して名をなすこと」の例えだそうです。

彩の栞第223号 「八朔の白妙」

◆明治維新・文明開化・西洋文化導入の波の中で失われた日本の伝統は多くありますが、特に徳川幕府に関する風習は抹殺されました。その一つが「八朔(はっさく)」です。八朔とは八月朔日(さくじつ=一日)の略で、旧暦の8月1日のことです。
8月1日は徳川家康が江戸城に初めて入城した日。それを記念してこの日は元日と同等の祝日とされ、諸大名は白麻の帷子をつけ登城し、大奥の女性たちは白の帷子の附帯。この風習は町人にも伝わり、吉原もこの日は紋日(休日)として、花魁(おいらん)たちも揃って白無垢を着たといいます。
これは「八朔の白妙」または「八朔の雪」と呼ばれました。
またこの頃に早稲の穂が実るので、初穂を恩人に贈る風習が古くからあったことから「田の実の節句」といわれ、この「たのみ」を「頼み」にかけて武家や公家の間でも、日頃頼み合っている(お世話になっている)方に感謝する意味で、贈り物をするようになったそうです。
現在でも京都では8月1日に、舞妓さんや芸子さんが絽の黒紋付きの正装で、芸事の師匠やお茶屋さんに挨拶回りに出かける風習があります。京都の夏の風物詩として、毎年大勢のカメラマンが京都を訪れています。

彩の栞第222号 「綿紅梅」

◆「綿紅梅」とは、異なる太さの綿糸を組み合わせ、細かい格子を全体に織り出した生地に型染めした染物のことです。また「絹紅梅」は細い絹糸と太い綿糸で織られているものをいいます。
◆「紅梅」とは生地の凸凹を意味する「勾配(こうばい)」から転じた名称と言われています。この生地の凸凹により、生地が肌にはりつかず、シャリ感があり、さらりとした清涼感がある着心地を楽しめるので、蒸し暑い日本の夏にとても適した織物といえます。
◆薄手の地に太めの格子が見た目にも涼しさを感じさせてくれますし、浴衣の生地としてはもちろんのこと、半衿をつけることで、夏の着物としての着用も楽しむことができます。

彩の栞第221号 「組紐の歴史」

◆組紐の歴史はとても古く、縄文土器時代の土器・古墳時代の埴輪(はにわ)から組紐の組織を見ることができます。これは自然の中で暮らす当時の人々が、暑さ・寒さに耐えるために布をまとい、布を紐で結んで身につけていた証拠だといわれています。
奈良時代に仏具・経典・巻物の飾り紐として渡来し、細い色糸による組み帯などの男女の礼服として普及しました。
以後、鎌倉時代には武具、室町時代には茶道具の飾り紐として使われ、そして豊臣秀吉が美術工芸を奨励したことから組み紐を職業とする者も誕生。職人は幕府の保護を受けて江戸に居住し、技巧を競い合うことで美しい色彩や模様が生まれ、羽織紐や印籠にも利用されるようになり、女性の帯締めとしても広まりました。
明治時代の廃刀令により需要が減り衰退してしまいましたが、帯締めの用途を中心に復活し和服の装身具として定着しました。

彩の栞第220号 「三尺帯」

◆三尺帯は男物の帯の一種で三尺(約91cm)の長さしかないためこの名前がついています。
三尺帯の由来は昔、工匠や鳶(とび)など職人さんが三尺の手ぬぐいを腰に巻いたこものです。やわらかい木綿などの生地を用いて、幅細に短く仕立てたもので、長さがないので通常の角帯のように手に折り返しをつくらず、一重に締め、駒結びなどで結んで使用していました。体に触れる部分を最小限にし、しめつけを少なくすることで、体への負担を少なくした普段着の帯です。
長さをつけて子供の着物用にしたり、ゆかたの時に結んだりしたようです。
その類の帯が、薩摩からの由来である「兵児帯(へこおび)」とも混同され現在ではそう呼ばれています。また「さんじゃく」がなまって「しゃんじゃく」とも呼ばれている場合もあります。

彩の栞第219号 「菱屋六右エ門の館」

◆6月13日〜6月16日まで日本橋サンライズビルにて、第19回彩染織美術館が開催されます。
この度は「菱屋六右エ門の館」と称し、俵屋宗達(たわらやそうたつ)の「風神雷神」「松島の図」、尾形光琳(おがたこうりん)の「四季草花図」、圓山応挙(まるやまおうきょ)の「水鳥之図」、伊藤若冲(いとうじゃくちゅう)の「闘鶏」、狩野山楽(かのうさんらく)の「車争い図」といった、国宝や重要文化財も含まれる屏風の模写を特別公開いたします。
さらに、幻の花といわれた紅花から作られる「紅花染」、西陣織700年の伝統に新しい息吹を添えた美山織工房「蛍庵」、新進気鋭のきものデザイナー森尻春司氏プロデュースの「Sense+Sense」、独自の技法により2点と同じ作品のない「陶幻染」など新しいメーカーも登場します。
職人の技術・意匠を凝らした展示品はここでしかない貴重なものばかりです。お目にかかるまたとない機会ですので是非ご来場ください。

彩の栞第218号 「国宝 風神雷神図屏風」

◆琳派(りんぱ)を代表する絵師・俵屋宗達(たわらやそうたつ)の至高の代表作。2曲1双・紙本金地着色の画は「風神・雷神」が画全体に緊張感をもたらし、その扇形の構図は扇絵を元にしているといわれています。
風神は風を司る神・雷神は雷の神であり、農業守護神です。
鬼神を描くという表現は極めて独創的であり、貼りつめられた金箔が物象の形を際立たせています。「風神雷神図屏風」が国宝となり、傑作と呼ばれる所以がここに存在しています。三島由紀夫はこれを「奇抜な構図」と評したそうです。
現在は京都国立博物館に収蔵されていますが、2008年に行われた洞爺湖サミットでは会議場にこの複製が置かれ、世界の首脳が間近でみる日本の伝統美に魅了されました。
尚、第19回彩染織美術館(6月13日〜6月16日)開催中に、西陣の職人が模写した屏風が展示されます。今からとても楽しみです。

彩の栞第217号 「柏餅の歴史」

◆柏餅とは、ご存知のとおり、餡(あん)のはさまった「しんこ餅」に柏の葉を二つ折りにして包んだお菓子の事です。柏の葉は、新芽が出ないと古い葉が落ちないという特徴があるので、これを「子供が産まれるまで親は死なない」=「家系が途絶えない」と結びつけ、柏の葉を子孫繁栄の縁起物として付しているものです。餅で餡を包むときの手つきが、柏手(かしわで)を打つ動作に似てめでたいという意味もあったようです。
◆柏餅というお菓子が日本の歴史に登場したのは、徳川九代将軍の家重〜十代将軍の家治の頃だと言われています。柏餅自体は、元々東日本発祥の文化で参勤交代によって全国に行き渡ったとされています。中国から渡ってきた端午の節句行事には含まれていないもので日本独自の供物といえます。

彩の栞第216号 「樺細工」

「樺細工」(かばざいく)は、山桜の樹皮だけを使い、独特の技法によって磨き上げ美しい光沢を出した伝統工芸品です。日本固有の工芸品であり秋田の角館(かくのだて)が唯一の産地です。名の由来は、材料の山桜を昔は「樺」や「樺桜」などと呼んだり、木の皮を総じて「樺」と呼ぶことからきているとのことです。
◆秋田の角館の佐竹北家によって秋田県北部の阿仁地方から技法が伝えられたとされ、藩政時代は下級武士の副収入源となっていました。伝統的な樺細工は一般的に小さなものが多く、印籠や胴乱(小物入れ)といったものに使われることが多かったそうです。
◆桜皮の素朴な手触りや自然の光沢が美しく、乾燥した物の湿度を一定に保ち外部からの変化から守る特徴があることから茶筒や煙草入れなどに使用されます。そのほか、髪留め、手鏡、時計、小箱などが生産されており、贈答品などとして親しまれています。数年前よりスマートフォン対応のケースが販売されるなど和を添えるアイテムとしても利用されています。

彩の栞第215号 「江戸小紋の歴史」

◆花冷えという言葉はありますが、万物が冬の衣を脱ぎ生命感がみなぎる暖かい時期。入園・入学・入社など希望に満ちた行事を、自然界の活動と同調させた日本人の感性は豊かです。
50年前、お母さん方は「黒五つ紋」の羽織を着て、子供たちをお祝いしました。
当時 “清明には黒羽織” と言われ、黒羽織の下に合わせるきものは「裃小紋(かみしもこもん)」が好まれました。
裃小紋とは、江戸時代に武士の礼装である裃に用いられた小紋柄のことで、その文様はどれも小さい型染めで大名はそれぞれの藩で定められた小紋を裃に染めていたので「定め小紋(さだめこもん)」と、そして現在では「江戸小紋」と呼ばれています。
4月は新年度始めですが、江戸時代の大名もこの時期に裃を新調する習慣があったそうです。

彩の栞第214号 「海老茶式部」

◆女袴の歴史は明治18年に学習院女子部の前身である華族女学校が創設されたとき、当時の学監だった下田歌子が宮中の女官がはいていた袴を参考に女袴を考案し、制服に指定したと言われます。以
後、日本各地の女学校が華族女学校の袴姿に倣い普及しました。明治中期以降、海老茶の袴をはいて新しい時代を颯爽と歩く女学生を、紫式部をもじって『海老茶式部』と呼んだそうです。
矢絣(やがすり)の着物に海老茶の袴、編み上げ靴は明治の女学生の普段着でした。
この3月の卒業シーズンに巷では袴姿の学生を見かけることができます。

彩の栞第213号 「啓蟄・春雷」

◆3月6日頃を二十四節気では「啓蟄(けいちつ)」といいます。
啓蟄の「啓」は”ひらく”という意味であり、「蟄」は“土の中で冬ごもりをしている虫”のことを示しています。つまり『寒い間、土の中でゆっくり冬眠していた虫たちが、春の陽気に誘われ草木が芽吹くと同じく、地上に顔を出す』という意味です。
この眠りから目覚めた虫たちが驚くのが「春雷(しゅんらい)」です。
寒冷前線と暖かい春の空気の重なりで響く、冬の終わりを告げる風物詩・春雷。江戸時代の人々は、この時期に稲妻柄のきものを着て、虫を驚かせて早々に目覚めさせることで暖かい春の訪れを願いました。

彩の栞第212号 「四君子文様」

◆きものの文様は色々なジャンル分けがあり、その中でもめでたく縁起のよい文様の総称が吉祥文様です。特に「四君子文様」は最も日本人に好まれます。
梅・菊・蘭・竹の四種の花を「四君子」(しくんし)と言い、君子(徳と学識、礼儀を備えた人)としての力量、心構えの見本とされました。それぞれの花に次のような特長を見出しています。
◆「梅」厳冬に咲く強靭さ、「菊」気高さ、落ち着き、安心感、「蘭」清楚で控えめな姿・風格、「竹」不屈の忍耐力、早い成長、などの特徴からこの四つの花を配する文様を貴んだとされます。
例/四君子

彩の栞第211号 「真綿紬の代表 結城紬」

◆春立つ日「立春」とはいうものの、雪の便りも届く季節。
余寒なお厳しいこの時期、真綿(まわた)紬が身体を暖めてくれます。
真綿は絹の一種で、室町時代に木綿の生産が始まる以前は、綿という言葉はこの真綿を指しました。
真綿紬の代表といえば「結城紬」
結城紬は、製織に入るまでに「真綿かけ〜糸紡ぎ〜絣くくり〜染色」と手の込んだ工程が必要です。
そして地機(じばた)という最も原始的な手織機で織り上げます。
繊細で手間がかかる製法で、1反織るのに平均50日、精巧なものは1年以上かかることもあり限りがありません。
まさに、国の重要無形文化財として総合指定を受けるに相応しい技術の結晶です。
平成22年11月にはユネスコ無形文化遺産に登録されました。

彩の栞第210号 「針供養」

◆裁縫にかかわる行事に「針供養」というものがあります。江戸時代からおこったもので、関東では2月8日、関西では12月8日に行われます。2月8日と12月8日は事八日(ことようか)と呼ばれ、2月8日を事始め、12月8日を事納めとして、この日から農耕を始め終わる節目とされています。この節目に際して仕立て職人が針の使用を忌んで裁縫を休み、折れ針や古い針をを豆腐やこんにゃくなど柔らかいものに刺して神社や寺で供養し、裁縫技術の上達を祈願するものです。
◆供養の仕方として土の中に埋めたり、針を刺した豆腐やこんにゃくを川や海に流して供養するということも行われたそうです。現在では家庭で針仕事を行うことが少なくなりましたが、和裁・洋裁業に携わる方にとって「針供養」は根付いており一大行事といえます。

彩の栞第209号 「辰(たつ・竜・龍)の伝説」

◆今年の干支は辰(たつ)。辰とは伝説の生き物・竜(龍)のことです。
「春分にして天に昇り、秋分にして淵に沈む」と言われる竜は、稲作民族である日本人にとって山々からの水が川をくだり流域の農地に恵みをもたらす一方、時には氾濫を起こしすべてを破壊してしまう事もあり、人々はそんな川の流れを竜蛇にたとえ“おろち退治”と称して神楽に畏怖と願いを込めて舞を奉納しました。
竜は水を司る神。祥瑞・吉兆というおめでたい動物とされています。本年が私たちにとって祥瑞の年になるよう精進しましょう。

彩の栞第208号 「雪輪文様」

◆雪輪文様は雪華文と同じく雪の結晶の形から生まれた文様です。不思議なことに顕微鏡のない時代から雪の結晶は「六花(りっか:六角形のこと)」と表されていました。雪輪は六角形の雪の結晶の輪郭を曲線で繋いだものです。
◆雪輪文は冬の情景を表すときに使われだけでなく、江戸時代の庶民の着物である小袖や、夏の着物に涼しさを演出させるために描かれたり、純粋に装飾的な型として、文の内部に花卉(かき)・草花など写生風な模様を入れた意匠が江戸時代より見られます。

彩の栞第207号 「風景のきもの」

◆世界を見渡しても、日本にしか出現しなかったきものがあります。
風景のきものです。風景はタペストリーとしては世界中に分布していますが、装うことを目的に作られることは非常に珍しく、その多くは江戸時代に作られたそうです。
江戸時代のきもの文化の特徴は、丁寧な技能と大胆な模様。
揚羽蝶と捻り花の「蝶捻花模様小袖 (ちょうねじばなもようこそで)」
葵の葉と流水の「紅綸子地水葵文様小袖(べにりんずじみずあおいもようこそで)」などがその代表作です。
装いのなかに風景画と見紛う物語を展開できる美しさ・・・それはきものに与えられた美の特権ではないでしょうか。

彩の栞第206号 「椿にまつわる信仰」

◆11月の誕生花である椿。品種上の雑種に秋椿、寒椿、冬椿、春椿があり、実際の開花の3〜5月以前でも椿があらわされた着物や帯を着るようになりました。きものや帯の柄として良く描かれる「遠州椿」がありますが、江戸の茶人である小堀遠州がとくに愛した文様とされています。
◆椿は花ごと落ちることから、「首が落ちる」事を連想させ、嫌う風習もありますが、本来「冬枯れしない艶やかな常緑樹」で、実生でも挿し木でも殖やすことができ、身近で親しまれています。
◆椿にまつわる伝説や信仰は全般的に「厄除け」「長寿」「吉祥」「子孫繁栄」といった、喜ばしいものす。古くは、喜寿・傘寿・米寿などの賀寿を「椿寿(ちんじゅ)」と呼んでいた事から、「樹齢が長くめでたい木」といえます。

彩の栞第205号 「お高祖頭巾(こそづきん)」

◆「立冬」を目前に、陽射しが弱まり日暮れが早くなって、首周りには寒さを感じる頃です。
江戸〜明治時代にかけて、ご婦人は頭巾をかぶって外出時の寒さを防いでいました。
頭部と顔面を包み込むようなもので、「お高祖頭巾(こそづきん)」と呼ばれた他、「ふろしきぼっち」とも称されました。
藤色や鉄色の浜縮緬(はまちりめん)で作られ、一端に雪月花の模様や家紋を染め入れました。
お高祖頭巾は「一名袖頭巾」といわれ、衣服の袖の形をしていて、袖口から顔を出すような仕様です。
現代では頭巾に変わりショールがあります。ショールは防寒だけでなく、おしゃれに彩りを添える楽しみがあります。

彩の栞第204号 「べっ甲(鼈甲・べっこう)」

◆べっ甲(鼈甲・べっこう)を使用した簪(かんざし)や櫛は、日本に古くから装飾品として利用されてきました。「あめ色」とも評される、べっ甲の色は、特に日本女性の黒髪によくなじむとされて、現在でも貴重な装飾品です。
◆べっ甲細工は中国では6世紀末から作られており、原材料には「タイマイ」というウミガメの甲羅が使用され、正倉院には一部タイマイの甲羅を使った楽器などが残っています。元禄時代に貼り合せの技法が江戸に伝えられて、現在の複雑な造形が出来るようになったのが「江戸べっ甲」の始りといわれています。しかしながら庶民にはとても持てない高価な物でした。
◆現在原材料の輸入が禁止されているため、禁止前の在庫や端材を利用しているので、より希少なものとなってきています。

彩の栞第203号 「紅葉ときもの」

◆10月になると徐々に紅葉に彩りが見えはじめます。
万葉集にその美しさが多く詠まれているように、日本人は紅葉を楽しんできました。黄色を尊重する中国文化の影響から、元々は「黄葉」と書かれていました。その後、日本には紅く色付くカエデが多く、美しいことから現在の「紅葉」に定着したそうです。
“紅葉の重なりは錦のよう” という言葉があるように、この時期は紅葉の一色を装いのなかに取り入れてみるのも風情があります。
自然に親しむ行事が増える季節。きものを着る機会も多くなることでしょう。
お茶会の催しもその一つ。茶席では半衿と足袋は白。指輪や時計は茶道具を傷つけるのではずします。会の趣旨を理解し、格調ある装いを心がけることが大切です。

彩の栞第202号 「和針の歴史」

◆和針とは日本で古くから使われてきた和裁用の針の総称です。めど(糸通しのあな)が丸く、針先がしだいに細くなっていることで運針がしやすいのが特徴です。
◆和針のうち、江戸時代〜昭和初期にかけて数多くつくられたものを、印(しるし)針といい、たとえば太さと長さを「三の二」などと数で示したものがあります。これは上の数字は針の太さを、下の数字は針の長さで、「三」番目の太さで、「二」分(1寸2分(曲尺)=3.6センチ)のものを指します。長さによって、縫い、絎(く)け、しつけ、衿しめ用と使い分けられます。
◆日本国内では「広島針」が有名で、実に日本で流通する九割を生産している最大の針産地です。江戸時代に、藩主浅野家が下級武士の手内職として普及させたことに始まります。

彩の栞第201号 「長月・秋の装い」

◆9月の異称「長月(ながつき)」
夜がだんだん長くなる月とされ、日々夜の時間が長くなっていきます。9月8日頃を二十四節気では「白露」と呼び、きものはこの頃が単衣の着始めとされています。
自然界には夏の疲労が表れ、木々の彩りが寂しく感じる時期。この時期、きものの装いには工夫が必要となりますが、それは同時におしゃれを楽しめることでもあります。
秋の装いは自然界を引き立てるような、白っぽい色合いよりも黒目の色合いや少し強い色目のものにより調和するでしょう。
ひと足早く秋を感じさせる帯締めや帯揚げなどの小物使いが、落ち着いた大人の女性の“おしゃれ”です。

彩の栞第200号 「手ぬぐいの歴史」

◆「手ぬぐい」は江戸時代に綿栽培が盛んになり、綿製品が普及したことで庶民の生活に広く溶け込んでいきました。手や体を拭くだけでなく包装、被りものとして使用したり、宣伝に配ったりと使い方は様々でした。砂ぼこりが多かったとされる江戸の下町などでは、帽子やスカーフの用途として、柄のおしゃれを競ったと言われています。
◆歌舞伎の発展とともに、歌舞伎役者が家紋や独自の紋様を入れた手ぬぐいが憧れの的となり、その柄はその時代の流行や文化を表すファッション性の高いものとして庶民の生活に馴染んでいきました。
◆現在では「和」や「粋」の見直しの中で、手ぬぐいの柄にちょっと遊び心があるものやデザイン性のあるものに人気が出ており、インテリアとして額に入れて飾る楽しさもあるようです。

彩の栞第199号 「内外の着こなし」

◆暦の上では立秋から秋となりますが、暑さは最高潮を迎える時期。
立秋を迎えることで、日本のしきたりや装いも変わり、暮らしのなかで季節を取り入れます。
手紙は暑中見舞いから残暑見舞いになり、きものの柄も秋草を取り入れる頃。
見た目で秋への恋しさを演出することは、一つの心構えであり、上級なおしゃれの一つ。内側は麻を中心に紗や絽の素材で涼しく保ち、外側で秋の彩色を楽しむ。それはきものが秘めた、内外の着こなし術でしょう。

彩の栞第198号 「すだれ・よしず」

◆「すだれ」や「よしず」どちらも、直射日光と人目を遮る効果を持ちつつ、風を通すことができる自然素材です。「すだれ」は素材は竹、軒につるして使い、「よしず」は、素材は葦(あし)でできています。

◆「よしず」はサイズが大きいので軒下やベランダの掃き出し窓に立てかけて使うのが一般的であり、窓の高さより長いものを用意するとよいでしょう。「よしず」に水をかけることで、気化熱で外気より涼しい風が入ってきます。

◆「すだれ」は窓の外に吊るす外掛けと、内側に吊るす内掛けがあり、伝統的には外掛けが一般的です。内掛けならカーテンと替えて使用してもよいでしょう。「すだれ」は空気の層を利用して熱を通しにくくするので部屋の中が涼しく保たれます。落ち着いたインテリアを演出しながら日本らしい夏の涼のとりかたはいかがでしょうか。

彩の栞第197号 「暑い季節に着るきもの」

◆待ちに待った梅雨明け。蝉が鳴き始め、夏を感じる時期。二十四節気では「小暑」となり、暑中見舞いが出し始められます。
本格的に暑くなり始めるこの時期、きものは絽・紗・麻の素材が涼しいです。そしてコーディネートは寒色系にまとめると、その姿を眺める人にも涼感を誘います。
暑い季節に着るきもの。暑さを避けるのではなく受け入れ、美しい装いで暑さを忘れさせる。それはまさに、おしゃれの追求であります。

彩の栞第196号 「きもの虫干し」「花橘」

◆着物にはよく年一回の虫干しをといいますが、絹物の虫干しは、カビ対策が主です。カビはほんの数日で繁殖し条件は高温多湿、まさにこの梅雨の時期です。特に貴重な梅雨の晴れ間に行うと良いでしょう。昔から桐の箪笥はきものの保管に最適とされますが、多湿になると隙間をなくし、中に湿気を通さない特質があるので理にかなった保存場所といえるでしょう。
◆花橘は6月の季語とされています。橘はみかんの原種で、実は小さく、香気が強く、奈良時代には街路にも植えられ、実は不老不死の薬ともいわれていました。葉は常緑、木は風雪によく耐え、よく育つことから人徳があり奥ゆかしい人を「橘のようだ」となぞらえたといいます。橘紋は、蔦(つた)紋や桐紋などとともに日本における十大紋のひとつです。

彩の栞第195号 「きものの衣更え」

◆四季に合わせて衣更えを行う風習は平安時代から続いており、日本が誇る伝統文化の一端を担うなかで、衣更えのしきたりを心得ることはとても大切なことです。
6月からは単衣仕立てのきものになり、盛夏には薄物の絽や紗、麻の生地のきものを着ます。夏帯には羅や絽・紗にはじまり、特に織のきものに映える麻、絽塩瀬の染め物や紗献上などがあります。盛夏向けとされてきた紗地も、近年では絽と同じく6〜9月に使用されるようになり、夏物の風合いや味わいを感じることができます。
四季を通じた装いのなかで、季節感を楽しむことができる。それもまたきものの魅力であり、しきたりを心得ることで個々のおしゃれが一層引き立つことでしょう。

彩の栞第194号 「扇子・京扇子」

◆これからの季節持ち歩くことが多い扇子。扇子には男物と女物があり、男物は7.5寸(約22.5cm)、女物は6.5寸(約19.5cm)が一番使用し易いといわれます。
◆京都市・五条大橋の西北詰に扇子生産発祥の地を記念した扇塚があります。京扇子には江戸扇子と比べると骨の数が多く、扇面のデザインは豪華さや優雅さに特徴があります。一方、江戸扇子は紙の折幅が広く、デザインは江戸らしいさっぱりした粋を意識したものになっています。京扇子は工程が分業制で作られるのに対し江戸扇子は1人全ての工程を行うので技術の継承が難しいそうです。

彩の栞第193号 「季節に合わせた更衣」

◆新緑が自然界に輝きをもたらす時期、きものは単衣の出番が近づきます。一般的に「単衣の季節は衣替えの6月・9月」とされますが、近年は温暖化により5月中に単衣を着ることも少なくありません。青葉に眩しい初夏の陽射しを感じたら、単衣への切り替えをの準備を整えておきましょう。帯は生絹というセリシンが付いたものや、麻の帯が単衣のきものと美しく調和し、季節の空気に映えます。
◆東日本大震災の救済募金のご協力に心から感謝申し上げます。皆様のご厚意は「読売光と愛の事業団」ならびに「朝日新聞厚生文化事業団」に募金させていただきました。ありがとうございました。

彩の栞第192号 「風呂敷」

◆風呂敷とはその名の通り風呂に敷くことから由来した言葉です。江戸時代に入り銭湯が普及し、衣類や入浴道具を四角い布に包むことから「風呂敷包み」や「風呂敷」と呼ばれるようになりました。
◆風呂敷の色は、祝い事などには『朱色』が良いとされ、『紫色』は先方への敬意を示す色、山葵色は慶弔両用、この他に『臙脂(エンジ)』、『藍色』が風呂敷の色の主流とされていましたが、現在は風呂敷もデザインを考慮し様々な色が使われています。
◆贈答品を渡す際は、直接手で持って渡すことは失礼にあたるとされ、手渡す際に風呂敷を解き、贈答品のみを置いて風呂敷を持ち帰るのが作法として一般的です。
◆鞄などに比べ、包むものが無い時には畳んでかなり小さくすることができて軽量・環境性からエコアイテムとして見直され、風呂敷バックやスイカ包みなど特色ある包み方も紹介されています。

彩の栞第191号 「清明に映える江戸小紋」

◆清らかな明るい光が万物を満たす頃。二十四節の第五節気「清明」は、お祝い事の多い時期であります。
礼節を尽くすためには江戸小紋を身にまといます。古きより春に江戸小紋のような細かい柄のきものが選ばれているのは、桜や牡丹などの美しい花への慎み。自然を尊重する控えめな心構えは品格を上げ、礼装として春の風光に映えることでしょう。
◆東北地方太平洋沖地震の災害募金を集めています
彩きもの学院では、各校に募金箱を設置しております。集まったご厚意は各校より自治体(区役所・市役所)を通じて被災地の救済活動に役立てられます。皆様のご協力をお願い申し上げます。

彩の栞第190号 「羽織紐」

◆羽織紐のヒモの種類は、丸組み、平打ち、無双 などがあります。「平打ち」とは一般的なタイプで、紐が平べったいものをいいます。「丸組み」平打ちより格の高いヒモで、断面がく丸くなるようにヒモを組み込んでいるヒモのことをいいます。
◆羽織紐の結び方として『花結び』などは略礼装の場合の結び方なので、房を上にして嶋尾の前で結ぶ『殿様結び』で仕上げるのが正装の結び方です。「無双」よく相撲取りがしているもので、ヒモを少し垂らすようにまっすぐ伸ばして、真ん中に玉や古銭や、結び目などを通してあるヒモのことをいい、このほとんどが、∽字金具で留めるタイプです。よりオシャレ的な部分に特化している羽織紐といえるでしょう。

彩の栞第189号 「三色餅の由来」

◆ひな壇に備える三色餅については次のような由来があります。菱餅の緑が健康や長寿、白が清浄、紅が魔除けを表しているという説、また春近い季節に、白・・・残雪の下、緑・・・緑の草が息づき、赤・・・桃の花が咲いているという桃の節句の季節感を表現しているとわれます。
◆元来菱餅といえば菱の実の粉で作るもので、菱の実には、子孫繁栄と長寿の力があるとされていました。
◆2月末から3月の晴天の日に行われる越後上布の雪晒し。雪から蒸発した水分に強い紫外線が当たることで発生するオゾンにより反物が漂白されていきます。主として白地のものが対象になります。その昔、1年の半分近くを雪に覆われる地域であった南魚沼。厳しい自然との共生の中から編み出した先人の貴重な知恵と技術が引き継がれてきたといえます。

彩の栞第188号 「枕草子 “二月つごもりごろに”」

◆枕草子「二月つごもりごろに」の中で、清少納言は「三時(さんじ)雲冷やかにして多く雪を飛ばし、二月山寒うして少しく春あり。」と謡っています。これは「空が寒いので、まるで花が散るようにして降る雪に、少し春を感じる」という一首です。先がけて咲く花の色に春を感じるこの季節。着物姿は道行く人たちの心を和ませます。

彩の栞第187号 「立春」「タトウ紙(畳紙)」

◆四季を二十四節(にじゅうしせっき)に分ける時、二月・立春から始まります。暦便覧では「春の気立つを以って也」と記されます。余寒なお厳しい季節ですが、空気が乾燥しているので着物の手入れには最適です。風通しのよいお部屋で着物を吊るし、着物に風を通しましょう。タトウ紙(畳紙)を開いて、畳んだまま置くだけでも湿気を防ぐことができます。

彩の栞第186号 「化粧廻し」

◆化粧廻し(けしょうまわし)は、大相撲の関取が土俵入りの際に締める儀式用の廻しです。長さ8m、幅68cmの長い布の先端に豪華な刺繍と馬簾(ばれん:纏(まとい)の周囲に房のように垂れ下げた、細長いラシャや厚紙、革などで作った飾りの付いた大きな前垂れを持つ高価なものです。
◆西陣織,博多織が主で,刺繍(ししゅう)などの絵模様を施し,下端には房をつけます。元禄のころ紀州藩がかかえの力士に華美なまわしを与えたのが起りとされ,のち取組用の取まわしと区別されるようになりました。

彩の栞第185号 「背守り・背縫い」

◆幼児のお守りとして、産着や祝い着などの背の上部中央につける色糸の飾り縫いのことを「背守り」と呼びます。
着物の「背縫い」があることで、背中から入り込もうとする魔物から身を守ることができると考えられていて、その背縫いのない子どもの着物に関しては、魔よけのため、縫い目をつけたり、刺繍を縫いつけたりして子供が健やかに育つようにと願う親の気持ちをこめているそうです。「背守り」は時代や地域ごとに花や動物など様々な模様がつくられ装飾的になってゆきました。江戸から昭和の初期くらいまでは、庶民の間では広く知られた習慣です。

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